2017年6月6日火曜日

2017-06-06 tue

かなり間を空けてしまった。
とはいえ、いつも通りの感じで緩く生きている。

下記、ネガティブな意識ではないことを先に申し上げる。
起きていることを踏まえ、自分で感情を処理しているところであるという事実のみで、感情的なことを排除していっている作業中である。

大多数の世の中の人は「美しいもの(私も美しいものは好きだが、概念が違う、ここでいう大多数の人が好むものは「一見 美しいもの」を指す)」を好む傾向にある。あえて毒の部分を避ける。汚いものに蓋をする。人づてに聞いて自分自信で中も確認すらしていないのに鵜呑みにし蓋をして生きる。そうすることで自分自信が知らず知らずに他人を傷つけていることを意識すらせず、寧ろ「さも何もしていないかのような顔」を平気でして生きている。または自分が被害者であるかのような顔すらしている。そういうものが見え隠れする人からはどうも距離を取りたくなってしまうのである。汚れた場所にたった一人で残ってしまうことになってもそのほうが心地よく、ストレスが少なくてすむ。寂しいことを承知で 敢えてそれを今後も選びたいと思う。

他人より蔑ろにされるのにも結構慣れてきた。調子の良いひとはそのまま生きていけば良いと思う。蔑ろにされることで怒ったりすることもなくなった。気付いていないフリすら出来る。そのものに対し残念さを通り越しそして興味が失せるだけである。なぜかといえば自分が行ったことは必ずそのしたものに戻っていくというのを体験的に知っているから。

だからこそ、グロテスクなもの悪心の部分・人間の本性のダークな部分を描いているストレートな表現のものに接することでホッとするのかもしれない。

猫たちは元気。ありがたいことだ。



2015年9月24日木曜日

トラウマ確認的夢メモ

2015.09.24. thu

己が事故物件であることをあらためて自覚せよ。社会的・一般的に女性的であれば美徳と謳われる類のものが苦手であることを自覚せよ。そして以前に起きた例の一件による、また怠惰な己のために、自身で先送りにして来たものがまだ途中段階であるものを、優先して生きよ。

母からの幼少期からずっと否定的な意見。“ある意味上記が普通であると仮定した場合、欠陥であるとそれに近い状態のものを持っているために意識が向けられない” という概念が理解できないため、単なる怠惰と捉えられ続けている。それは単なる思い込みにすぎず、やろうとしていないだけであり、意固地な性格の問題であると確定させられる。そのことを認識し、更にもっと自粛し自制し自己完成のみを優先すべきである、ということを自覚せよ。

などという誰かからの(多分に幼少期から母から言われ続けていることがベースにあるのだろう)押さえ付けられるような威圧感のある教訓めいた『自己自制をすべきである』という内容の夢を見た。

出演者:あの人、この人。懐かしいあの人、この人も。
香り:百合の花のむせるようなキツい香りがとても印象的。
時間帯:AM4:20(たまたまである)



2014年2月7日金曜日

キジトラ猫について(1)

2014-2-7(Fri) 思い出しつつ。







2013年の7月20日に先代黒猫が亡くなってその10日後にご縁あって黒猫兄妹2匹を迎え、2014年8月16日からは更に白い1匹が家族となった。現在日々賑やかに楽しく振り回されながらまだ生かされていることに感謝。彼らが一生終えるまでは健康で働き続けられるよう願っている。

 先代黒猫が3〜4歳の頃(約15年ほど前だ)、通っていた荻窪の動物病院で「里親募集」の張り紙を見て「もう1匹迎えたい」旨を連絡しご縁ありキジトラのオス猫を引き取ることになった。
 窓口になった方と保護していた方とが私が当時住んでいた部屋に一緒に来た。その子猫は人懐っこくて元気いっぱいだった。相性も特に悪くない様子だったので、引き取ることにお互い承諾し、次の面会の後家族になった。
 約半年後、私は違う沿線へ引っ越しをしたので、通っていた病院の先生に病院を紹介してもらい、そこで半年過ぎたので去勢手術をすることにした。

 ここでの判断は当時の私の無知による完全にミスだったと今も後悔しているのだが。

  当時、忙しい会社に勤めており、ワクチンもついでにお願いしてしまった。(本来なら抵抗力が落ちているだろう去勢手術時には飼い主に頼まれても、医者のほうでも普通なら断るだろうという知人もいた)手術当日、病院へ連れて行って翌日迎えに行く予定だったのだが、病院から電話があった。

「手術後、意識が戻らずお渡し出来ません。様子を見ているので、また連絡いたします!」とのことだった。 彼に一体何が起きたのだ? 心配で仕方ないが何も出来ない。連絡を待つしかない。
  そして5日(約7日)後だったろうか。「意識が戻りました…」やっと病気から連絡があった。

 そして取るものもとりあえず病院へ駆けつけた。やっと抱きかかえられたが様子が少しおかしい。目の焦点が合っていない様子だ。まさか…。そのまさかだった。 彼は失明していた。僅かだが光は感じられているようだったが。

 連れ帰ったものの、先住の黒猫がいままでの様子と違うので威嚇する。気味が悪いのだろう。

 その日から、彼が亡くなるまでの2年間は戦争のような日々だった。

 帰宅したらリビングにはウンチが散乱。トイレの場所は匂いで分かるのか用は足せているものの、砂をかけてもちゃんと掛けられないのだろう。

 そのうち先住黒猫のストレスになり始め、彼の我慢も限界になり今度は彼から訴えのお漏らしを初めてされたので、柵を用意し、移動出来るエリアを限定した。黒猫だけが寛げる場所を作ったのだ。

 ある日帰宅すると布団に潜ってじーっと動かない。声をかけて撫でてやると少し呼吸が荒い。去勢手術をした病院ではなく、引っ越す前に通っていた病院へ電話しタクシーで行った。診断は皮膚気腫というもので、皮膚と筋肉の間にガスが溜まる病気なんだとか。。。

 紹介して頂いた病院で去勢手術をして、こんな辛い状態になってしまった。医療ミスではないのか?信頼出来る先生とおっしゃったが、違うじゃないか、と怒りを伝えたが、『たまたま弱い個体だったか、そして麻酔に過敏反応する子がたまにいるので、その一例かもしれない』と言われた。

 ※最近になって、今いる子たちを連れて通っている病院の先生に、『そんな例ってあるんですか?』と質問したところ、『多分、身体に対して麻酔薬が多すぎたのか、分量を間違えたか、何かしらミスということが考えやすいね。何かしらそういった状態になってから5〜10分など短い時間ながら脳に酸素がいかなかった場合、障害が残ることが多分に考えられるから。それによって特に視神経を破壊されてしまった可能性は高い。』とのこと。 (やはりそうか、私の無知から彼の命を早く奪ってしまった。申し訳ない。その上、紹介して貰った病院も合わなかった上、医療ミスに近いことが起きた。君にとっては辛いことばかりに、しんどい思いばかりさせてしまった。せっかく命を繋いで下さった保護主さんにも申し訳ないと思いつつ、保護主さん・連絡窓口の方も去勢するまで手紙などでこちらから連絡をさせて貰っていたので安心されたのか、そして引っ越されたのか分からないが、連絡取れなくなってしまったが…)

 そして尿道結石、休日一緒にいた時に何となくおしっこが出にくそうなので病院へ連れて行った。そのまま入院〜1週間手術。そのときは前回の病院の対応にやはり不信感があり、別の病院へ通っていた。 病院のみで取り扱っている食事になった。食費も治療費も高額、大変になってきた。しかし、彼のためにはやむを得ない。自分の責任でもある。

 ある日、突然痙攣を起こしてまた病院へ。癲癇の症状だった。脳のお薬は人間用しかなく、人間用の癲癇のお薬を8等分にし、毎日朝晩与える。大変ではあったがこれで彼が回復してくれれば。と願いつつ、与え続けたが良くならなかった。発作は減らなかった。

 ※イギリスでも問題になっている純血種のボクサー種に癲癇発作を起こす個体が増えているという映像を観たことがあるが、それはとても壮絶である。発作を起こしている本人の苦しみは勿論、飼い主の体力的精神的なストレスも大きい。ボクサー種はまた身体が人間ほどあり、抱き押さえるのも大変である。それほどでは無いにしろ、それよりは遥かに小さい猫でも、発作が起き始めたら素早く汚れてもいい大判のバスタオルを数枚用意し、抱き押さえられるように包んで待機する。そのうち激しく痙攣が始まるので、力を入れ過ぎないよう押さえすぎないよう、抱き押さえる。本人の意思ではどうしようもない状態で不随意に全身が痙攣を起こすので、家具の角などで頭などを打たないように『早く治まって!!』と必死で願いつつひたすら待つ。痙攣が起きると全身に力が入るので、糞尿が出てしまうのでそれでバスタオルが必要である。治まるとしばらく涎を流しながら呆然としている、そして暫くすると正気に戻るのである。

 動物病院の先生曰く、発作が起きると少しずつ脳細胞が破壊されてしまうらしく、なるべく発作が起きないようにその癲癇薬を与えているのだが、減ってくれないとの話をすると難しそうな表情をされていた。やはり治らないのだ。先も見えない。 いつ発作が起きるのかが分からないが、運良く私が一緒にいる時間に発作が起きることが殆どだった。 何度も何度も発作の対処をしたが、声もたてずただ優しくタオルに包むようにそっと、でもしっかり抱いて、発作が治まるまで離さない。静かにただ1秒でも早く治まってくれ、と無心に願うだけであった。 癲癇発作が起きるとその前よりも少しずつ脳が破壊されていくという言葉通り、少しずつ色んなことが不自由というか、今までの様子と比べて少しずつ悪化していっている様子に見えた。

 そしてある10月上旬のお昼。徹夜明けで帰宅、呼んでも返事が無い。いちばん奥の部屋にトイレを置いてあったので、またおしっこが出にくいのかと心配で見に行ったら、彼はトイレ砂の上で横たわって冷たくなり始めていた。既に死後硬直が始まっていた。

 その頃の同居人に泣きながら電話。お世話を1度お願いしていた知人に電話したが殆ど覚えていない。そして長い間話していたみたいで、同居人が仕事から帰って来た。

 取り急ぎ病院へ電話し、霊園を紹介してくれたので、そこへ電話し葬儀の準備を。翌朝、車で迎えに来てくれるということになったが、自分が全て悪いのだと後悔してもしきれず、一睡も出来ない。

 申し訳ない、ごめん。せっかく楽しい一生を送って貰えるようにと、里親になったのに、何もしてあげられたのか。彼に与えられたのは『苦しみ/痛み/悲しみ』だけだったのではないか?私は彼にとっては悪魔だったのか…。本当にごめんなさい。無知というのは本当に悪なのだ。

 翌朝までに既に死臭がしてくる。現実。腐ってきているのだ。まだ暑い時期なので、一晩で内臓からすでに腐り始めてしまった。生命活動が停止すると、腐敗が始まる。独特の臭い。彼の一生を3年足らずの生命活動で終わらせてしまったのは、私だ。

 身代わりになれれば、私が代わってあげれれば、彼はせっかく助かった命を全う出来たのに。私が死なせてしまった。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。。。。

 謝っても謝っても帰ってこない。 君はなんのために生まれて来たのか。なぜ私のところへ来てくれたのか。私に何を教えてくれようとしたのか。 ありとあらゆる起こりうる事故・病気・障害、全てを請け負う覚悟をもって里親となること。そう、私にはその覚悟が全く無かった。そこまでの覚悟をした上で命を預かる、それを私はすっかり忘れていた。というかそういうことを一切人ごとのように考えていた。それを彼は私に教えてくれたのかも知れない。

 そう思えるようになったのは最近になってだが、もし次に彼に再び会えたなら謝りたい。そしてチャンスをもう一度貰えるのなら、また家族として一緒に暮らしたい。今度は穏やかな一生を送れるような環境を提供したい。

 

2014年1月20日月曜日

【MEMO】2014-01-20

ギニーピッグ2 血肉の華

ラストのアカペラ曲

地獄の底の子守唄/ひこひゃんおじさん

堕ちろよ 堕ちろよ
地獄の底へ堕ちて来い
血の池 火の海 針の山
人間どもよ、堕ちて来い

堕ちろよ 堕ちろよ
地獄の鬼も呼んでいる
血の池 火の海 針の山
亡者のうめき 聞こえるか

堕ちろよ 堕ちろよ
地獄の闇は 果てしない
血の池 火の海 針の山
地獄の底の子守唄


2013年10月16日水曜日

2012年7月20日-2013年10月16日、思い出。

あっという間に1年と2ヶ月が経った。
去年のこの日に先代猫の雷蔵氏が急に逝ってしまった。

彼は私が東京へ出て来た時に出会った猫。
それも初めて一緒に過ごした猫。
 

私が子供の頃から実家には動物は身近に居た。
小学校2年の時に父が柴犬を貰ってきてくれた。
その後、知り合いの美容院で生まれた柴犬とシーズーのMix犬、
知り合いの方から里子に貰ったポメラニアン。。と、
常に2匹庭に居て、Mix犬はとても私に懐いていて、彼とは寝る時も一緒の生活をずっと送った子供時代だった。小鳥や矮鶏も飼っていた。父は魚が好きだったようで、熱帯魚やメダカや水槽が何個かあって、かいがいしく世話をしていた。今思えば賑やかな家庭だったのは記憶している。

一度、高校の時に弟が茶トラの子猫を拾って来た。(弟は忘れてしまった様子だが…)
親にどうしても許してもらえず、二人で泣く泣く拾った場所に戻しに行ったのをいまだに覚えている。そこには親らしき大きい猫が佇んでいたので、あれが親猫であると私はいまでも信じたい。

そうそう、上京してからの話。
当時私は荻窪に住んでいて、就職もなかなか決まらず、時給が良いというだけで、柄にもなくショットバーでバイトをしていた(私は下戸で殆どお酒が飲めない)。そこで一緒に働いていた西荻窪に住んでいた女の子が家で猫を飼っていたらしく、その飼ってたアメリカンショートヘアのミックス猫が妊娠してる事が分かり、“生まれたらどう?飼ってくれないかな?
”という話になった。その猫は完全室内飼いだったが、ある日ドアから黒猫が飛び出て逃げていったらしく、それが父親ではないか?という話をしていた。

それから数ヶ月後、「産まれて授乳真っ最中、一回見においで」ということになり彼らに会いにお家にお邪魔させて貰った。

母猫と5匹の子猫たち。アメリカンショートヘア模様の子猫が3匹、黒猫が2匹いた。なんという微笑ましい風景。釘付けでニヤニヤしつつ撫でていた。

特に母猫&子猫たちが私の太ももの上で遊び始めた時の重みと温かさ、これは今思い出しただけでも涙が出そうだ。なんなの?この幸せの塊は!!という感じだった。

そしてその時に私は黒猫が欲しいと言ったかどうかはもう覚えてないのだけど、なぜか既に「この子を貰ってね!」と彼女が私に、と決めていたという黒猫を初めて抱えた。その猫が雷蔵だった。

(後日談、雷蔵は5匹の子猫のうちいつも単独行動をする一匹狼的な猫だったそうだ。
そして、唯一飼い主(彼女)に牙を剥いた!という…。そしてそういう性格の子を私に、という発想は喜んでいいのか、怒るべき個所なのか迷うところだったが、結果的には雷蔵くんと私はとても相性が良かったと思う。)

そして、雷蔵との長い生活が始まった。

その頃住んでいたマンションはペット可ではなかったけど、特にバレること無く6年ほど住んだ。彼が3〜4歳の頃に私が昼間仕事で忙しいので、寂しいのかなあと思い、通っていた獣医さんの里親募集の張り紙で知った方に連絡し、キジトラ猫の雄を引き取った。(彼との記憶はまた別の場所できっちり整理しなければいけないのだが。)

そこから引っ越しをしたがまたそこもペット不可のマンション。バレそうになって2年で引っ越しをした。その後に住んだベランダが広いマンションで、後で家族になったキジトラ君は引っ越した直後に亡くなってしまった。

その後、自分の生活環境にも色々変化と試練が起きた。自分は必要のない存在、消えてしまいたい、消えてしまえばいいのに…と思いつつ、「あ、でも私は雷蔵にご飯をあげないと、病院へ連れて行かないと、彼の世話は必ずしないといけないのだ」、と思い直し何とか思いとどまるのだった。とはいえ、死ぬなんて勇気はなく、他力本願な無気力な感情・感覚。いちばん過酷だった頃にいちばん頼りにしたのは今思えば雷蔵だった。

雷蔵が私の元に来てくれていなければ、もしかしたら今私は存在していないかも知れない。すでに死を選んでいた可能性も無くはない。そう考えると、『もし私の人生に彼という存在がなかったら…』と思うことが恐ろしくもある。必要があって私の元に来てくれたのかも知れない、と。彼は「ホンマは、嫌々あんたのところに行ったったんやで〜」と言うかも知れないけど、本当に本当に感謝している。

そんな感じで生活が始まり、雷蔵3歳頃から、一緒に実家にも飛行機で帰省し、実家の犬たちを震えあがらせたり、堂々としたもので初めて一緒に帰省した際は少し戸惑っていたけど、2回目の帰省からはもう我が物顔で歩き回り、2階に快適なスペースを見つけてずっとやれやれ〜的な感じで寝てたな。

飛行機にもすぐ慣れ、帰省したら「ああ、この家ね、あそことここはゆっくり出来る場所、覚えてるよ〜」みたいな感じで、すぐ寛いでいた。

私の生活が混沌として来てから、親に悟られないようにしようと嘘を付き実家にしばらく帰らなくなってからは移動することと言えば病院への行き帰りの電車ぐらいになったが、それはそれで楽そうだった。

5年ほど私の生活の混沌が続き、心療内科へ通いつつ仕事をし、親には絶対に悟られないように必死になりつつ、最後の段階で親にもう隠しきれない…という状況になり、親に告白した後10日ほど帰省した時も雷蔵くんと一緒に帰った。


親と混沌の一部を共有して貰ってからは、すっきり前へ進める!という、ひとりで戦って来て正しかった、親のような善良な人間には言えない、と思いあえて絶対に言わずにいて正しかった。と思った。

それから弁護士さんだけにお願いして自分は表舞台へ出なくて良い状況になり、全てお任せし2年半ほどでやっと終わり、開放されてからは、やっと雷蔵との穏やかな生活に戻り、これからゆっくりと雷蔵くんの老後のことを考えよう、これから介護の年齢になるなあ〜と思っていた。

数年後、肉球にかさぶたのようなものが出来ていたのが気にはなっていたが、自分で剥がしたりしてびっこをひくこともなかったので、気付くと治ったりしてる様子だったので、そこまで気にしていなかった。

そのうち、仕事から帰宅すると畳の上に血が落ちていたりしている日もあって、「あれ?また瘡蓋出来てる?」と思っても、肉球を触ろうとしても、絶対触らせて貰えない。。。病院へ連れて行ったほうがいいのかな?と思いつつ大したことないのかな?という気持ちもあったりして、数週間後にやっと病院へ連れて行った。

(因に、雷蔵くんは子猫の頃から絶対に爪を切らせてくれなかった…爆睡してる間に切ってやろうと思って、そっと指を触った瞬間に、シャー!て言われたりして絶対無理だった。。。)

亡くなる7ヶ月前に病院へ行った時に、獣医さんの表情がちょっと変化したような気がする。その日は軟膏を頂き、様子を見ることになったがしばらく塗ってもなかなか治らない。その翌週行くとそのまま1日入院し、洗ってもらって、組織を切り取って精密検査へ回してもらった。

その2週間後、精密検査の結果を聞きに雷蔵と病院へ行ってそのまま入院。検査の結果は『悪性メラノーマ』。いちばん内側の指を切断縫合し、癌化した組織と周りの組織を取り切った。(はずだった)

動物の回復力は早く、切除後もすぐ歩いていたし、数日でいつものキャビネットの上などに飛び乗るようになった。1週間後、抜糸。キレイに傷も治っていて、歩くのも手術前とも変わらない様子で、私もホッとした。

そこからまた暫く平和な日々、6月下旬に撫でていて今度は腹部にしこりがあるのを発見。嫌な予感がした。そして7月中旬にまた病院へ。即入院〜手術。今回も組織を切り取り、精密検査へまわして貰った。

その後、1週間。深夜の発作。2回目の発作で急に天国へ行ってしまった。

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雷蔵の肉体が消えてしまって、10日後。大阪に住んでいる友人から電話があった。彼女は旦那さんと2人でオリジナルジュエリー&リペアのお店を経営している。そのお店のお客さんから電話連絡があったそうだという内容だった。『生後2ヶ月足らずの6匹の子猫を拾ったらしい、そのうち3匹は黒猫。雷蔵くんが黒猫やったし、亡くなってすぐで辛いやろけど、あっこちゃん黒猫飼わへんかなあ〜って思って連絡した。』という内容だった。

雷蔵が居なくなって辛くて辛くて、もう一緒に着いて行きたくて、何も考えられなくて、生きてることすらどうでも良くなって。里親募集の集まりなどに足を運んでみたりしても、ボランティアさん達のちゃんとした活動理念は理想としては理解出来るけど、人ごとに判断してくれない悲しさをとても厳しく受け取ったりして、余計に悲しくなったりした。

例えば、『単身者には基本的に譲渡しない』という項目を、『18年間一緒に生活していた黒猫を数日前に亡くして、猫がいない生活が無理なのでご縁のある子を探しています。』という話をしても、暗に『結婚していない人は論外、家庭を持ててない人には任せられない』ということをいわれているような気分になってとても悲しくなった。結婚するのが当たり前、家庭を築くのは当たり前、という意識を押しつけられているような気分。吐き気を覚えた。家庭があっても結婚してても、動物を家族として迎えない人がいる、ファッションアイテムとしてしか考えていない人もいる、私のような単身者でも、経験と知識はあると自負していたので、それはその概念で考えると全て論外なので、譲渡出来ません。といわれているようなとても悲しい気分になった。

そしてその時の私は雷蔵を失ってかなり落ち込んでいたので、余計に『あなたは人としてダメです、普通の人生を歩んでいない人は論外です。』といわれているように感じてしまった。

そんな時にかかってきた電話で、一時は躊躇した。子猫を飼おうと思っていなかったからだ。出来れば大人の猫で、兄弟(あるいは姉妹)で、と考えていた。それは自分の体力と健康のいつまで持続出来るかに少し自身が無かったからでもある。子猫の里親になると、健康で一生送るとして20年、あと20年健康で働けないといけない。そこまで自分は頑張れるだろうか?それにちょっと不安があったのだ。

しかし、
ある意味友人に押し切られてしまった感じで、黒猫オスメス兄妹の里親になることになった。すぐ写真を送ってきてくれた。そこにはこの世に生まれてわずか数ヶ月の小さい小さい命たちが写っていた。涙がこみ上げて来た。雷蔵くんが繋いでくれるご縁なのかも知れない。

私が住んでいる場所は横浜市、友人は大阪府豊中市。迎えに行くということになった。とはいえ、彼らが社会性を少しでも身につけられるよう、彼女のお家で10日間ほど強化合宿させて貰えることになった。

彼女の家にも2匹の猫が居る。1匹は2歳ぐらいの女の子、この子は人間大好きで自分は猫じゃないと思っている。生後1日で捨てられていたのを彼女がふとした流れで保護することになり、懸命にお世話し、命を繋いだ。今では立派な猫になっている。もう1匹は茶トラの男の子。この子は人間が苦手、というより猫が好きな人間が苦手。威嚇するまでは行かないが、好き好き!と向ってくる人間をどう相手して良いのか分からないらしい。

2012年9月1日,2日と泊まらせてもらい、子猫たちと慣れる時間を儲けてもらった。子猫たちは初対面の私にもとても懐きすぐ遊んでくれた。とても人慣れしている。とても良い子たちだった。物怖じしない、とてもよく遊びよく食べよく寝る。

友人の家にいるメス猫ちゃんが女の子対応、人見知りなオス猫くんは男の子担当の様子で、微笑ましかった。私が昼間起きている時間は、オス君は全く出て来ず、夜中に子猫達を引き連れて、お水を飲みに来たり、ご飯を食べに来たりしていたというのを友人から朝起きて聞く。かわいいもんだなあと思った。

2日宿泊させて貰い、新幹線で横浜まで帰って来た。彼らとの生活が始まったのだった。

それから1年経ち、彼らは大きくなった。初めは彼らと一緒に居乍ら、雷蔵のことばかり思っていたが、少しずつ少しずつ雷蔵のことを考えなくなった。子猫の元気さに翻弄されながら必死で日々を送っている。


毎朝起きると、彼らが居ることを認識し、幸せがこみ上げてくる。今日も健康でいてくれてありがとう。

※現在は、3ヶ月半の白猫(オス) が更に増えて、3匹という大所帯になってしまった。これもまた追々…。

2013年8月23日金曜日

日々更新中。



お別れしてから1年経った先代くんのことはまたゆっくりメモ記憶に残そうと思う。少しずつメモしていっているけど、なにぶん思い出が大すぎて長くなってしまう。纏めきれない。でもメモっておかないと忘れていくから、そのうち。。

上の写真は、最近増えた白い猫(彼の名前は “はく” 白いからという理由で姪っ子が名付けた。白は姪っ子が保護した猫だ。彼のことも記録しておかないとだけど…)がやってきて、不満そうな桃次郎くん。

今は慣れてきたらしく、いい保父さん。

2013年5月15日水曜日

みーみーとハチ子。

みーみーとハチ子。

ハチ子は口腔内に異常があるのかご飯が食べ辛そうです。
暖かくなって来たので毎日会えなくなりました。
元気で居て欲しい。

キジ×白 みーみー
白×黒のハチワレ ハチ子



2013年5月9日木曜日

2013年5月。

生後10ヶ月過ぎになりました。
男の子、約5kg。
女の子、約3.5kg。
重い。。。

健康でいてくれてありがとう。




2013年3月27日水曜日

大きくなりました。

あっという間に普通の猫になりました。
お母ちゃん最低あと20年は頑張るよ。
君らが生きてる間は絶対頑張るよ。






2013-03-24





2013-03-26

2013年3月14日木曜日

8ヶ月目。

彼らが生まれて8ヶ月経ちました。
先代くんが居なくなって、8ヶ月です。
去勢手術/避妊手術、無事に終わり少しずつ大人になっています。
いつもありがとう。
これからも元気で居てね。




2013年3月13日水曜日

30年振りだそうです。

フランシス・ベーコン展
30年振りの大規模展だそうです。観に行かねば。
(at 東京国立近代美術館)

なんと言っても学生の頃、とても好きで好きでたまらなかった画家の1人。いちばん好きな絵は、やはり死刑執行されて 断末魔の形相をしている法皇の絵。

昔から暗い絵が好きだったのは何か原因があるのだろうか?と。別に深く探りたいとも思わないけど。何かあるのかな?
小学校3〜4年生の頃、凧を作る課外授業で絵は自分で描くのだけれども、悩み抜いた末、これだ!と選んだのは「ムンクの叫び」。とても気に入って空高く舞っていました。


因に、映画『愛の悪魔 〜フランシス・ベーコンの歪んだ肖像〜』は切ない映画でして。DVD持っているので、また観たいと思います。音楽が坂本龍一というので劇場へ観に行った遠い記憶があります。泣けます、私は。

2013年2月5日火曜日

2013年1月23日水曜日

ZEN TV DVD















このDVD、中身盛りだくさん!
また観よう。
今日はこんな気分です。

Neotropic - SunFlower Girl

2013年1月15日火曜日

2012年、年末イベントメモ。(映像追加)

◆ 2012年11月23日(金) Electraglide2012 @ 幕張メッセ
 その前の11月20日(火)に生まれて初めての喘息発作を起こし、救急車で運ばれるということになったため、オールナイトイベントは体力的に無理だろうと判断し、チケットはTwitterのフォロワーさんに1枚買い取ってもらった。行きたかったなあ〜。Amon Tobinのプロジェクション・マッピングとやらを自分の目で観たかった。体感したかったなあ。残念だけどまた次の機会に、次回は絶対に行く!

Orbital、Flying Lotus、Squarepusher、KODE 9などなど、予習しまくったのに…。

くそう!ま、元気じゃないと何も出来ないということを思い知った出来事でした。健康には今後特に気を付けよう。

This Year's Act : Orbital、Flying Lotus、Squarepusher、For Tet、KODE9、DJ Krush、DJ Kentaro and more


◆ 2012年12月23日(日)「水中、それは苦しい」20周年!
ジョニー大蔵大臣40歳スペシャルバースデーライヴ!! @ 渋谷O-EAST

水中、それは苦しい/猫ひろし/忘れらんねえよ/げんきいいぞう/大森靖子/マキタスポーツ/石川浩司/FRONT CAB CIRCLE.se(千原せいじバンド)/AeLL. /寒空はだか/他 そういえばジョニーさんのお父様、妹さんによるスペシャルマジックタイムがあって微笑ましかった。坊ちゃんなんですね、ジョニーさん。「農業、校長、そして手品」のモチーフがお父様だったというのを初めて知って目頭が熱くなりそうになったとかならなかったとか。

芸人の墓


農業、校長、そして手品
猫ひろしさんは知名度がまだあるが、元気いいぞうさん、青空はだかさんはほんと寄席とか特異な舞台でしか観られない芸人さんなので、ポカーンとしてるお客さんも多かったがなかなか反応よくてそれを観て私も楽しかった。 大森靖子さんの声が歌詞がちょっと久しぶりにぐっと来たなあ。____*(テイヘン)のVo.飴奴さんのようなエモーショナルな方だなあ〜と思って目が離せなかった。

パーティドレス


お宅の娘さん、僕が頂きます。[試作版] / _ _ _ _*(テイヘン)


◆ 2012年12月24日(月) お昼〜『クリスマス特選演芸会』@ お江戸日本橋亭
快楽亭ブラック、鈴々舎馬るこ、瀧川鯉朝、寒空はだか

















こちらは昨年も行った面白い組み合わせの落語会。寒空はだかさんは癒し系ですね。かなりインテリジェンスのある方で、映画にもお詳しいような。何かの番組でゲストで出ててすごい映画好きだったので凄いなあ〜と思ったことがある。何かが好きで好きで周りが見えなくなってそれが楽しそうな人って見てるこっちも楽しくなる。


◆ 2012年12月24日(月) 夜、『クリトリック・リス ワンマンLive』@ 高円寺UFO CLUB













浪速在住のおっさんミュージシャン(で合っているのかは定かではないが…)で、なかなか切ないリリックを繰り出すのと、テクノちっくなリズムとシンセでこじんまりとしてはいるが結構メッセージ色が強いようなそうでもないような。誰かが死んだりするリリックもどこまで本当か嘘か分からん。


◆ 2012月12月28日(金)和ラダイスガラージ 特別篇 @ 六本木SUPER DELUXE
LIVE:伏見直樹&ソレイユ、渚ようこ、ギャランティーク和恵
DJ:幻の名盤解放同盟 (根本敬/湯浅学/船橋英雄)、永田一直、yudayajazz、中村保夫
VJ:20TN!

伏見直樹先生かぶりつきで酔った。渚ようこさんを生で聴く機会はこれが初めて!素晴らしいステージだった。
とにかく永田一直元帥!!かっこいいなあ〜♡スナックねこも今後もチェックし続けまーす!
あとは秋田からお越しになった和ラガールちゃんが可愛かったのと和ラ仲間がどんどん増えてて…と、嬉しい限りです!

2013年1月8日火曜日

ダイヤモンドのわんこ。

Diamond Dogs (1974)



Aladdin Sane (1973)


高校生の頃死ぬほど聴いた2枚。Aladdin Saneは美術の時間にジャケットを模写した程好き。わんこは折りたたみになっていて後ろがまたかっこいいんよね〜。やっぱり問答無用でWatch That ManとLady Grinning Soul(スタートとラストを聴くために全編聴く!感じ)が好き。

DIAMOND DOGSはSweet Thing (Reprise)からRebel Rebelへの流れが子供心になんか凄いかっこいい!と思った。

DAVID BOWIEの誕生日。

今日1月8日はDAVID BOWIEの誕生日だそうですね。
初期の頃がやっぱり好き。
『世界を売った男 The Man Who Sold The World』もRCAから出てたギターを持って片足を高く上げてるモノクロ写真のアルバムがいいな。もう廃盤になってしまっているけど。


2012年12月28日金曜日

記憶を形に残すこと。

The Cinematic Orchestra - 'Entr'acte'



来年は『記憶を形に残す』ことをやろう。
自分の寿命があとどのくらいの時間残っているのかは全く分からないけれども、何か残して行くこと。

そして、年老いてきた私の大好きな両親がいつ私の目の前から居なくなってしまうのかは当然誰も教えてくれない。
彼らもいつか物質として存在しなくなる、ことに果たして耐えられるのだろうか。
それに耐えるためにも、『色んな記憶を残して行こう』と思う。
そんな自分もいつか物質として消えてしまうのだけれども。

彼らに対して“優しい言葉”はまだまだ恥ずかしくて、照れてしまってあんまり言えなくてごめんね。
でも、ちょっと前にも思い切って言ったけど、“もし次生まれて来る時も、今の両親の元に生まれて来たい”と。
心からそう思う。その時は、もっともっと甘えてやるのだ。

2012年12月27日木曜日

2012年12月28日 (金) 和ラダイスガラージ!!!!!!!!

2012年12月28日(金)
『和ラダイスガラージ』特別篇

LIVE:伏見直樹&ソレイユ/渚ようこ/ギャランティーク和恵
DJ:幻の名盤解放同盟 (根本敬/湯浅学/船橋英雄)=特殊DJ行為/永田一直/yudayajazz/中村保夫
VJ:20TN!

逝くますお!
本年最後の楽しいイベント!!
オールスター勢揃い!
出来れば朝まででもやってください!
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