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2013年3月13日水曜日

30年振りだそうです。

フランシス・ベーコン展
30年振りの大規模展だそうです。観に行かねば。
(at 東京国立近代美術館)

なんと言っても学生の頃、とても好きで好きでたまらなかった画家の1人。いちばん好きな絵は、やはり死刑執行されて 断末魔の形相をしている法皇の絵。

昔から暗い絵が好きだったのは何か原因があるのだろうか?と。別に深く探りたいとも思わないけど。何かあるのかな?
小学校3〜4年生の頃、凧を作る課外授業で絵は自分で描くのだけれども、悩み抜いた末、これだ!と選んだのは「ムンクの叫び」。とても気に入って空高く舞っていました。


因に、映画『愛の悪魔 〜フランシス・ベーコンの歪んだ肖像〜』は切ない映画でして。DVD持っているので、また観たいと思います。音楽が坂本龍一というので劇場へ観に行った遠い記憶があります。泣けます、私は。

2012年11月12日月曜日

久しぶりに。

Buena Vista Social Club



Gorillazともセッションしてたよね。 かっこいい。

Gorillaz featuring Ibrahim Ferrer (live) 投稿者 sabotage

イブライム・フェレールがお亡くなりになる前にこの曲が出来上がったのは奇跡だと思う。


Gorillaz - Gorillaz (2001)


自分自身、生まれ育った町が港町に近かったので、海の香りのする風景とか落ち着くのも映画を観ての感想だった。ライ・クーダーがサイドカーで潮の高い海岸線を走っているオープニングの風景はなんとも言えずジーンと来る。

2012年11月8日木曜日

Swing!!

スウィング・ガールズ 〜Swing Girls (and Boy)〜


やっと観たー!矢口史靖監督らしい爽快な映画。
音楽って楽しいね〜。身体が動くってね。

昔母親に言われたことがあるけど、『どんな安い道具でも使う人がちゃんと使えばそれなりにええもん(素晴らしいもの)が産み出せる。高ければええもんやないで。』。

気持ちや大事にするこころがあれば何でも宝物になる。 そして、音楽は素晴らしい。ま、私は聴くの専門だけど・・・。

エレキギターの女の子に告白してはフラれてる男子生徒2人がツボった。

2012年10月29日月曜日

311の後。

THE WASTELAND



興味あるけどまだ予約されていない方、
なかなか釣崎さんの生のお話を聞く機会は少ないので、是非!

こちらは釣崎清隆さんのサイト。(但し若干閲覧注意です)

「ヒミズ」にも東日本大震災での被害の様子などが挿入されていたが、やはりキレイというかオブラートに包まれすぎている。当然だけど。

こちらは演出もほぼなく生の状態の映像が目の前で流れるだろうと思うのだけど、それをどう自分が捉えるのか。

以前の自分では無いのは実感してるけど、どう変わったのか今一度確かめる要素としても観たいと思います。

2012年7月5日木曜日

「メランコリア」追記。

トリアー監督「メランコリア」鑑賞後、劇場でプログラムを購入して、読んだ。
そこには ”トリアー監督は鬱病を患っていて…云々、鬱状態で考える究極の解決策” 等々なお話が書かれていたが、普通に「地球が消えてしまえばいい」と思っている私は頭がおかしいのだろうか?幼少の頃からなんだけど、これ。そう思うのが普通だと思っている自分には当たり前の事じゃないの?…と。

※厳密には、人間だけが消えてしまえばいい、と真顔で思っている。

特に現世に執着も無いし、平和になるのはそれだと思うなあ。

最近ちょっと嬉しかったことは、階下に住むチビくん(※画像が、大きいけど名前は“チビ”くん)の飼い主さんが「貴方と会わない日はよくニャーニャー鳴いてるよ。最近会わないと寂しいみたいだよ!」と言われたこと。動物は裏切らない、人間と違って自分のエゴだけを押し付けない。自分の欲求だけを自分勝手にアピールしない。計算高くない。思ったまま感じたままを表現する。誰にどう思われてるか、とかあまり考えない(動物同士でもいろいろあるんだろうけど 笑)。
楽だ、本当に。

私自身、あまり人にどう思われるだろうとか考えないほうなので、自分が行動したことに対して人がドン引きしたりしても、仕方がないか、と思うだけ。その人にはキャパシティが無かったのだ、と思うだけ。どんなに好きでも、無理なものは無理だと思っているし。ただ、本心を誤摩化して生きるような人とは今後接点は持てないな。疲れるし。察することは相変わらず苦手だし。言えばいいじゃない、接すればいいじゃない、としか思わない。会って大切な話をしない人とは距離をおく。面識が出来ればほぼもう大切な人、なにか理由があるから会ってる訳だし。それを自分の弱さやかっこわるさを隠すためにばつが悪いから誤摩化してしまうことに、こちらは気付いてるけど、もうあえて言わないだけです。

人がどういう洋服を着ている、どういう靴を履いている、何何のブランドバッグを持っている、どういう彼氏がいる、どういう仕事をしている、どこどこの大学を出ている、年収がいくらある、どんな車を持っている、どんな○○を持っている、どんな○○を持っている、どんな○○を持っている、、、私にはどうでもいい。その人がどういう事を真剣に考え、どういうことを成し遂げたいと真剣に思っているか、真剣に行動しているか、自分の内部から湧き出る感情にどこまで素直になれているのか…ただそれだけにしか興味が無い。他には興味は無い。そういう物に囲まれていなければ、不安だ…という人はそういう自分なのだということを認め、開き直ってその世界でその世界の人と生きていけばいいと思う。こちらは何の保証もない、リスクだらけの世界。覚悟が無ければ腹をくくらなければ息が出来ない、多分君には無理だ。












こないだメモったことを残しておこう。

全ては「空、無、幻、脳の勝手な判断と解釈」であるということ。でもそれなのに自然と自分の中から起こる感情はどこからやってくるのかな?自我・意思ってなんだろう?

好きな人、友人、尊敬出来る人との間で、自分にとってうれしい事があると、それが「有限」であることを忘れて勝手に期待してしまうアホな学習能力の低い人間だ。

それが消えてしまいそうになると、または消え去ってしまってから「悲しい」という感情が生まれる瞬間がそのうちやって来て、「ああ、忘れてた。分かってたのに相手の本心を見ずに近寄ってしまった」と毎回思う。

私は他人から好きになって貰えるような人間ではない。そういう有難い状況が発生した時も「それが有限である、変化する、消滅することである」ということを忘れてはいけない。 忘れると脳の勝手な解釈で「悲しい、切ない」といった感情にいずれ支配されてしまうだけだ。

「悲しい」なんてなにを偉そうなことを言ってるんだ?君は。そんなことが言える立場では無いのを自覚しなさい。

ただ淡々と日々を送って死が己を迎える用意が出来るまで、他人に期待などすることなく最低限の生命活動を維持すればよいだけのことだ。

 できる限り目立たず息を潜め、誰にも本来の状態物体としての意識としての「無」に戻っても気づかれぬように配慮しなさい。もとの「無」という状態に戻るだけだ。心配することではない。

2012年7月2日月曜日

ラース・フォン・トリアー「メランコリア」

先日、キネカ大森で映画を鑑賞。 ラース・フォン・トリアー「メランコリア」と、アンドレイ・タルコフスキー「サクリファイス」の2本立て。 「メランコリア」観たいな〜と思いつつもロードショー上映中に結局行けず仕舞いだったのだけど、キネカ大森で再上映とのことでやっと観られた。(しかもタルコフスキーとの2本立てとかお得すぎる!)

(↓映画スチールと共に)オープニングがこの曲です…。
ストーリーは地球に巨大惑星が接近してきてしまうというお話。それにより環境が大きく変化するのだけど、対するそれぞれのキャラクターの反応。若干ネタバレになってしまうけど、惑星が地球に衝突してしまうことへの主人公ジャスティンの感情がすごく共感出来るなあと思った。

今自分の気持ちも割と同じ感じ。前のポストに猫のことを記したけれど、守るものといえば今の私には猫だけ。猫だけというよりは、猫を守るためなら何でもする。そして高齢なので、彼(猫)が寿命を全うするだろう年月もあと数年だと思う。もし命が尽きたら、私は特に今の世の中に何も執着するものがあまり、というか殆ど無い。なので、地球が惑星により消滅しようが別に良い。むしろ人間だけ消え去ればいいとすら思っている。人間が居ることは、現在のいろいろ起こっている出来事を見ていると地球にとっては害以外の何者でもない。 生態系の頂点に立っているなど勘違いも甚だしい。好き勝手して目の前の利益や自分さえ良ければという今の世界の状況にもう怒りを通り越して、もはや虚しさしか沸いてこない。

少しでもそういう人とは離れていたいと思うし、そういう人と接するエネルギーはもう使わない。使いたくない。欲は無い人は居ないけれど、お金や自分の地位や、関わり合う他人を肩書きや学歴で評価する人とは特に。無意識に先入観で他人を評価して安心する人、そういう人は(一見)ぬくぬくしたその世界から出ちゃダメだよ。または、その今居る世界が貴方のベストな環境なんだから、一生その世界だけで生きていけばいい、こっちに来ないほうがいいよ。なんて考えたりしてる。

自分の弱さや変化しようとしない怠惰な状況を己が無知であることを自覚しようとせずに相手のせいにしたりとかね。例えば、今の環境より変化した後の環境のほうが金銭的に過酷である場合、それに別の理由をつけて誤摩化したりね。自分がやり始めたことを自分できっちり後処理しない人とかね。自分も含め、そういう人と接していくことは今後は無いだろうな。限りなくゼロに近くなるな。

私は、他人にどんどん興味が無くなっている、というよりは、興味を持てる面白い人だと思って近づいたにも関わらず、表面だけだったな…結局自分のことばかり構ってちゃんだったのか…自分が!自分が、自分のことを…、持ちつ持たれつという概念など全く無い無償に自分にだけ与えて!という人と接する経験が最近多くてちょっと辟易中…。

なんなんだろなー、他人と関わることを恐れて狭い世界から出られないそういう人とは今後はちょっと距離を置くと思う。男女とも。本心を隠して探ってみたり、コントロールしようとしているのがうっすら匂ったり。そういう会話やコミュニケーションは私には無理だなあ。誰かに言ったことあるけど、「私は、殴り合いの喧嘩のような本気の試合的なコミュニケーションしか取れない」っていうのは今後も変わらないと思うし。そういう虚しい経験が立て続けにあると、やっぱりね、アホらしくなってしまう訳。

自分はこういうことをしたい、絶対やる!なんて本気出す出す詐欺、そういう人って出さなくて突っ込もうものなら、聞かされたこっちのせいにするタイプが多いしね。

映画の感想というよりは、かなり脱線してしまったけど、正直色々な事に対して辟易してたので、「妙〜にスッキリ!した」という映画だった。ウド・キアーが出演してたので、ちょっと得した気分。相変わらず素敵な俳優さんだ。

映画オープニング、ワグナーの「トリスタンとイゾルデ」が素晴らしかった。


↓オープニングです↓鳥肌がたった。
Melancholia (2011) - Opening

2012年2月3日金曜日

穴。

『穴』(1960年/フランス/監督:ジャック・ベッケル)
ガスパルという若い囚人が軽い罪で実刑を受け入って来た房では、脱獄の計画が持ち上がっていた。やむを得ずガスパルを仲間に入れ脱獄を進めるのだが…。 脱獄までの淡々とそれでいて息を呑むストーリー展開。大どんでん返しのラスト!緊張が解ける瞬間が全く無い脱獄映画はこれが初めてでした。これは動画にもあるように、ただひたすら男たちが穴を掘る掘る掘る掘る!!映画です。

何だ?!ラストの凄まじい緊張感!!アメリカ映画とは全く雰囲気が違っています。

どこかの映画館でまた『ジャック・ベッケル特集』やってくれないかな〜。大阪で観た記憶、遠い遠い記憶。

2012年2月1日水曜日

映画『ヒミズ』を観て。

この間の1/29(日)、渋谷のシネ・クイントにて映画『ヒミズ』を観た。

以下、だらだらととりとめのない感想やら思いつくまま。。。
ネタバレも若干含まれているかも知れないので、悪しからず。

まずは、茶沢さんの問題は何も解決しておらず、彼女は彼を待つ間独りで闘わなければならない。彼女のほうがある意味過酷な未来のような気がしてならない(茶沢景子の家庭環境は特に原作にはない要素なので個人的には要らなかったかもな~と思ったけど、震災後、園子温監督が脚本を大幅に書き換えたということも影響しているのかも知れないけど、してないかも知れない。)

住田くんはある意味、父親との関係を経つことに成功したが、実際は依存性のある怒りであるにも関わらず、解決せぬままその対象が居なくなってしまっただけであって、しかも自分の手で殺めるという実感のある形で、という絶ち方は、父親へのコンプレックスと嫌悪感の塊をぶつけるその対象そのものが消滅してしまっているために、対峙した先にあるかも知れない親からの愛情・無償の愛で包んでもらう・何ものにも囚われず自分を認めてもらうということが永遠に叶わないということになる。   深刻だ、これは。対峙しようにも存在しないのだから、対峙することができない…

私が女性だからそう感じるのかも知れないが、母親は二度と戻らないと思うし、面会にも行かないだろうと推測するのだけれど、それも彼が欲しかった親からの愛であり、それは一生欲しくても貰えないということを意味する。 金子ローンの社長、茶沢さん、二人ともが言った同じ意味合いの言葉が印象的。「君はいま病気なんだよ」「色々選択肢があるのになぜ大変な方を選ぶのだ?」 だけど、病むことでしか反発する術を持てない人間にすれば、普通に生きるほうが果てしなく過酷であり、ツラい状況であって、そこに立ち止まる事で安心しているという事も多々ある。そうする道しか生きられないのだ。

所謂、「普通に生きる」とは、案外体力・精神力が必要であり、闇に息を潜めること・病気である状況に留まることで身を守ることのほうが楽でもある。実際、自分もかつて心療内科へ通っていた時期があり、その時「この闇は永遠に続くのかも知れない」と思うと気が狂ったほうがマシだ、と思っていた。抗鬱剤を処方されているその事実だけで、安心している自分がいた。(何かへの依存)

だけど、それは一生続けられない。いつかは各々抱える問題や何かにケジメをつけて先に進んで行くしかないように思う。 その対象にタイマンを張るのは他でもない、自分自身だけなのだ。愛する人や大切な人、誰も手など貸せない。貸したくても貸せないのだ。それは一生かかっても対象物が消滅しても、自身自身の中で偶像としてイメージとして存在する限り、対峙せざるを得ないのだろう。 その行為は再度言うけれども、かなり体力が必要だし、精神力もいる。だからその自分をとにかく理解することから始めないといけない。まずは自分で自分を客観的に見、「これでいいのだ。よく独りで頑張ってきたなあ。」と褒めてあげないと、認めてあげないことには先には進めない。

君は一生、そこに立ち止まるのかい? 
そうじゃないのなら、行動で示せよ!
生きられる時間など宇宙規模でいえば一瞬だ!瞬く間に一生など終わる。
自分だけの価値観で見ている世界などおそろしく狭い、狭すぎるんだよ。
それは一歩外へ出れば無数にある。無数にあるんだよ!

それを知ろうと思えない、それに気付けない自分が見えずに苦しんでるだけなら
もしくは気付きたくないのならそこに一生佇んで絶望していればいい。 

何となくそんな事を考えていた。

漫画原作には住田くんと茶沢さんが初めてSexに及ぶシーンがある。私はこれには重要な意味があると解釈していたが、映画では描かれなかった。監督の解釈では重要だと思わなかったのだろうか?もしくは大人の事情というやつか?

茶沢さんのイメージはもっとませててエロくて、もっと現実的思考なキャラクターだった。彼の一挙一動にドキドキしたりしない。ただそれは私の原作を読んだ上での解釈であり、監督のそれとは違う。

原作は全体的に混沌としていて陰鬱で出口が本当に無く描かれている。私のラストの解釈は監督とは真逆だった。 園子温監督って割とポジティブな思考なんだろうかと思った。私なら救いの無い描き方で終わっているだろう。私は刹那的なのか?

漫画から入っていて世界観が気に入っている場合、う~んと唸ってしまう人も多いような気はする。古谷実の漫画『ヒミズ』が好きな人には少し勧めるのを躊躇う作品になっていると思った。ベースだけ骨格だけ、と思って別物として観るぐらいでもいいかも知れない。

YouTubeで観た予告編での変な主題歌チックな曲は本編には使われていなかったので、それにはホッとした。ちょっと気になったのは住田くんが父親を殺してしまい、精神的に崩壊していく描写の中で、絵の具を身体中に塗りたくるシーンがあったんだけど、赤い絵の具を舌の上にべったりチューブから出してしまうので、ハラハラした。赤ってカドミウムを含むということを聞いたことがあったので、大丈夫かなーと、勝手に心配して観てた。




2012年1月30日月曜日

夏よ早く来い。

今日はシネ・クイント『ヒミズ』をレイトショーで観てきました。いろいろ思うところはあるけれど、また後日まとめたいと思います。てなことで帰りの電車で携帯のメモアプリでメモってたら乗り過ごしてしまい、心も激しく寒くなってやっと帰宅した…寒かった、そして疲れたぜ。



そんなこんなで(どんなだ…)よく考えることなんだけど、自分にとって今、何かしらの関係性を持ち合ってる人ってすごく貴重なご縁の上で、なんだと思う。その中でも更に密に関わりあってる人たちって何か役目とか意味があって接してるんだろうな。この広い広い世界の中で関わりあってるってすごい確立じゃない!と思うのだけど?

否定的でも肯定的でもいい。現在保留中でいつ関わりが復活するのか、はたまたいきなり切れるのか?分からないけど。 それでも接点のある人たちって本当に不思議なご縁なんだろうな~。自分から切るのか?相手から切られるのか?明日生きてるのか?いきなり命が尽きるのか?分からないけど。

親にしてもそうだけど、なぜこの親の元に生まれたのか?なんて考えると不思議だなと感じるのですが。みなさまはどうとらえて生きてるんだろうな~と考えたりして。

あ、また思考が走ってる…深夜は危険なのでそろそろ寝ませう。  

AMATERAS LIVE @ 祐正寺01 / 静寂 ~ ホーメイ 倍音共鳴
少し怪しげですがここちよいっすなー。東横線の電車の音かしら?

Crystal Bowl Meditation


こういった倍音のLiveの映像って、みなさんちょび髭生やしてたりして怪しげな感じが増幅されてるのが残念。もっとこう違う胡散臭さをぬぐって欲しいなーと個人的には思いますが。

2012年1月25日水曜日

「J.S.バッハ―G線上の幻想」

Jan Švankmajer - J.S. Bach Fantasia in G Minor(1965)
「J.S.バッハ―G線上の幻想」 
ヤン・シュヴァンクマイエル監督作品で使われているクラシック/オペラ、なんという曲名なのか知りたい知りたい!

↑↑↑↑ 削除されてしまいました;; ↑↑↑↑
是非DVD入手してご覧下さいませ。


Rosa Ponselle - Vissi d'arte 1919
プッチーニ『歌に生き、恋に生き』 
オペラの舞台というものもいつか観てみたいものです。

2012年1月20日金曜日

今でもみょんちゃんのこと、大好きやー。

うだつのあがらない20歳の青年が初恋の女の子と偶然再会し告白しようとするも、事件に巻き込まれ殺されてしまうが、むちゃくちゃがんばって生き返るまでの夢のような冒険のお話
 〔訂正〕むちゃくちゃがんばって生き返り、みょんちゃんとその姉ちゃんを連れて逃げる。しかしなぜか鯨に飲み込まれてしまい、鯨の腹の中で過ごし始めるが…。という夢のような冒険のお話。お姉ちゃんが自分のやりたいことを実現していく様に無性に胸が熱くなりました。

Mind Game (2004) - Trailer


原作:ロビン西/監督:湯浅政明/音楽:山本精一

愛だね。無我夢中で誰かのために生きたい。
いや、なろうと思えばなれるんだろうけど、なかなか難しいよなー。
でもそういう相手がいるって幸せだと思う。
大切に思えるひと、そのひとが傷ついてたら自分のことのように心が揺さぶられてしまうひと。そんなふうに大事に思えるひとがいるってことは価値のあることなのかも。

作画がSTUDIO4℃なんだねー。『サムライ・チャンプルー』にもよく似た描写が出てくる(こちらはマングローブというスタジオですが)。あんな感じ好きな方にはおすすめです。ほとんど今田演じる西の台詞が関西弁なのでダメな方はダメかも。

その今田耕司、めっちゃハマってます。西さんの漫画はいつもスケールが宇宙的規模で大好きなんだよな~。 daily vitamins(全力でヒマをつぶしにいきます)というサイトで『エリートガス屁くん』という漫画が読めます。なんか切ない話。名作です。

死後くんの『I Myモコちゃん』 も面白いよ。哲学的なようなぜんぜんそうでもないような。



☆おまけ☆ Mind Game マインド・ゲーム Masaaki Yuasa - Tribute

2012年1月14日土曜日

夜に。

Stille nacht II - 1992


Stille nacht III - Tales from Vienna woods 1992
※一部です。




















いい意味で人生を変えてくれた作品でもある。 「ストリート・クロコダイル」に出会えた幸せ。こちらに『スティル・ナハト』も収録されています。

2011年12月29日木曜日

映画 『Waking Life』

2001年10月19日 アメリカ公開
2002年11月16日 日本公開

酔う。くらくらくらくらくら…でも心地いい。哲学的なお話を断片的にひたすら聞くのが楽しい。
そしてまた絵の動き・描き分け、言葉をイメージ化してアニメーションとして描いてくれているのがまた分かりやすくて良いです。私自身が、思考を廻らせたり何かを理解することにおいてイメージ・映像のようなものとして…なので、この映画はなぜかスっと入ってきます。
 

Waking Life 1/9
Waking Life 2/9
Waking Life 3/9
Waking Life 4/9
Waking Life 5/9
Waking Life 6/9
Waking Life 7/9
Waking Life 8/9
Waking Life 9/9

持ってるDVDって誰かに貸してたっけな、、戻してもらったらまたじっくり観ようと思います。

2011年11月11日金曜日

サヴァイヴィング ライフ

9月の末あたりだったか…遅いけど。。。

『サヴァイヴィング ライフ -夢は第二の人生ー鑑賞。
監督:ヤン・シュヴァンクマイエル

夢でしか会えない彼女ともっと近づきたい。夢を見るために彼女と会うために眠る。夢を操作するために生活のすべてをやがて費やしてしまう。

私は“己のトラウマを知り受け入れるというテーマの映画”という解釈をしました。
誰しも多かれ少なかれトラウマを抱え生きているわけで、命ある限り少しずつでもそれを自覚し向き合っていかざるを得ないんだなあと。

奥さんでもあり美術を担当されていたエヴァ・シュヴァンクマイエロヴァーさんが亡くなられてから、ヤン・シュヴァンクマイエル監督の初の映画だったと思います。(間違ってたらごめんなさい)直接的にグロテスクな描写は少ないけれど、イメージ的にグロテスクなものを想像させる表現は多々あり、深みのある作品でした。

私自身がよく夢を見るからかも知れませんが、すぐに引き込まれてしまいました。夢メモも付けてはいるけど色んなノートに走り書きして、纏められておらず。もったいないな、ちゃんと纏めよう。

終わってからぼんやりと己のことについて自然と思いを廻らせていたのでした。
監督、長生きしてくださいね。

オープニングで監督自身が出演されていまして、『安くあげようと考えこのコラージュという手法を取ったのだけれど、思いのほか時間がかかり、俳優のギャラは安く済んだのに結果予算をオーバーしてしまった』と。来日された際にもインタビューでおっしゃられてました。監督かわいい。