2012年7月2日月曜日

ラース・フォン・トリアー「メランコリア」

先日、キネカ大森で映画を鑑賞。 ラース・フォン・トリアー「メランコリア」と、アンドレイ・タルコフスキー「サクリファイス」の2本立て。 「メランコリア」観たいな〜と思いつつもロードショー上映中に結局行けず仕舞いだったのだけど、キネカ大森で再上映とのことでやっと観られた。(しかもタルコフスキーとの2本立てとかお得すぎる!)

(↓映画スチールと共に)オープニングがこの曲です…。
ストーリーは地球に巨大惑星が接近してきてしまうというお話。それにより環境が大きく変化するのだけど、対するそれぞれのキャラクターの反応。若干ネタバレになってしまうけど、惑星が地球に衝突してしまうことへの主人公ジャスティンの感情がすごく共感出来るなあと思った。

今自分の気持ちも割と同じ感じ。前のポストに猫のことを記したけれど、守るものといえば今の私には猫だけ。猫だけというよりは、猫を守るためなら何でもする。そして高齢なので、彼(猫)が寿命を全うするだろう年月もあと数年だと思う。もし命が尽きたら、私は特に今の世の中に何も執着するものがあまり、というか殆ど無い。なので、地球が惑星により消滅しようが別に良い。むしろ人間だけ消え去ればいいとすら思っている。人間が居ることは、現在のいろいろ起こっている出来事を見ていると地球にとっては害以外の何者でもない。 生態系の頂点に立っているなど勘違いも甚だしい。好き勝手して目の前の利益や自分さえ良ければという今の世界の状況にもう怒りを通り越して、もはや虚しさしか沸いてこない。

少しでもそういう人とは離れていたいと思うし、そういう人と接するエネルギーはもう使わない。使いたくない。欲は無い人は居ないけれど、お金や自分の地位や、関わり合う他人を肩書きや学歴で評価する人とは特に。無意識に先入観で他人を評価して安心する人、そういう人は(一見)ぬくぬくしたその世界から出ちゃダメだよ。または、その今居る世界が貴方のベストな環境なんだから、一生その世界だけで生きていけばいい、こっちに来ないほうがいいよ。なんて考えたりしてる。

自分の弱さや変化しようとしない怠惰な状況を己が無知であることを自覚しようとせずに相手のせいにしたりとかね。例えば、今の環境より変化した後の環境のほうが金銭的に過酷である場合、それに別の理由をつけて誤摩化したりね。自分がやり始めたことを自分できっちり後処理しない人とかね。自分も含め、そういう人と接していくことは今後は無いだろうな。限りなくゼロに近くなるな。

私は、他人にどんどん興味が無くなっている、というよりは、興味を持てる面白い人だと思って近づいたにも関わらず、表面だけだったな…結局自分のことばかり構ってちゃんだったのか…自分が!自分が、自分のことを…、持ちつ持たれつという概念など全く無い無償に自分にだけ与えて!という人と接する経験が最近多くてちょっと辟易中…。

なんなんだろなー、他人と関わることを恐れて狭い世界から出られないそういう人とは今後はちょっと距離を置くと思う。男女とも。本心を隠して探ってみたり、コントロールしようとしているのがうっすら匂ったり。そういう会話やコミュニケーションは私には無理だなあ。誰かに言ったことあるけど、「私は、殴り合いの喧嘩のような本気の試合的なコミュニケーションしか取れない」っていうのは今後も変わらないと思うし。そういう虚しい経験が立て続けにあると、やっぱりね、アホらしくなってしまう訳。

自分はこういうことをしたい、絶対やる!なんて本気出す出す詐欺、そういう人って出さなくて突っ込もうものなら、聞かされたこっちのせいにするタイプが多いしね。

映画の感想というよりは、かなり脱線してしまったけど、正直色々な事に対して辟易してたので、「妙〜にスッキリ!した」という映画だった。ウド・キアーが出演してたので、ちょっと得した気分。相変わらず素敵な俳優さんだ。

映画オープニング、ワグナーの「トリスタンとイゾルデ」が素晴らしかった。


↓オープニングです↓鳥肌がたった。
Melancholia (2011) - Opening

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