あっという間に1年と2ヶ月が経った。
去年のこの日に先代猫の雷蔵氏が急に逝ってしまった。
彼は私が東京へ出て来た時に出会った猫。
それも初めて一緒に過ごした猫。
私が子供の頃から実家には動物は身近に居た。
小学校2年の時に父が柴犬を貰ってきてくれた。
その後、知り合いの美容院で生まれた柴犬とシーズーのMix犬、
知り合いの方から里子に貰ったポメラニアン。。と、
常に2匹庭に居て、Mix犬はとても私に懐いていて、彼とは寝る時も一緒の生活をずっと送った子供時代だった。小鳥や矮鶏も飼っていた。父は魚が好きだったようで、熱帯魚やメダカや水槽が何個かあって、かいがいしく世話をしていた。今思えば賑やかな家庭だったのは記憶している。
一度、高校の時に弟が茶トラの子猫を拾って来た。(弟は忘れてしまった様子だが…)
親にどうしても許してもらえず、二人で泣く泣く拾った場所に戻しに行ったのをいまだに覚えている。そこには親らしき大きい猫が佇んでいたので、あれが親猫であると私はいまでも信じたい。
そうそう、上京してからの話。
当時私は荻窪に住んでいて、就職もなかなか決まらず、時給が良いというだけで、柄にもなくショットバーでバイトをしていた(私は下戸で殆どお酒が飲めない)。そこで一緒に働いていた西荻窪に住んでいた女の子が家で猫を飼っていたらしく、その飼ってたアメリカンショートヘアのミックス猫が妊娠してる事が分かり、“生まれたらどう?飼ってくれないかな?”という話になった。その猫は完全室内飼いだったが、ある日ドアから黒猫が飛び出て逃げていったらしく、それが父親ではないか?という話をしていた。
それから数ヶ月後、「産まれて授乳真っ最中、一回見においで」ということになり彼らに会いにお家にお邪魔させて貰った。
母猫と5匹の子猫たち。アメリカンショートヘア模様の子猫が3匹、黒猫が2匹いた。なんという微笑ましい風景。釘付けでニヤニヤしつつ撫でていた。
特に母猫&子猫たちが私の太ももの上で遊び始めた時の重みと温かさ、これは今思い出しただけでも涙が出そうだ。なんなの?この幸せの塊は!!という感じだった。
そしてその時に私は黒猫が欲しいと言ったかどうかはもう覚えてないのだけど、なぜか既に「この子を貰ってね!」と彼女が私に、と決めていたという黒猫を初めて抱えた。その猫が雷蔵だった。
(後日談、雷蔵は5匹の子猫のうちいつも単独行動をする一匹狼的な猫だったそうだ。
そして、唯一飼い主(彼女)に牙を剥いた!という…。そしてそういう性格の子を私に、という発想は喜んでいいのか、怒るべき個所なのか迷うところだったが、結果的には雷蔵くんと私はとても相性が良かったと思う。)
そして、雷蔵との長い生活が始まった。
その頃住んでいたマンションはペット可ではなかったけど、特にバレること無く6年ほど住んだ。彼が3〜4歳の頃に私が昼間仕事で忙しいので、寂しいのかなあと思い、通っていた獣医さんの里親募集の張り紙で知った方に連絡し、キジトラ猫の雄を引き取った。(彼との記憶はまた別の場所できっちり整理しなければいけないのだが。)
そこから引っ越しをしたがまたそこもペット不可のマンション。バレそうになって2年で引っ越しをした。その後に住んだベランダが広いマンションで、後で家族になったキジトラ君は引っ越した直後に亡くなってしまった。
その後、自分の生活環境にも色々変化と試練が起きた。自分は必要のない存在、消えてしまいたい、消えてしまえばいいのに…と思いつつ、「あ、でも私は雷蔵にご飯をあげないと、病院へ連れて行かないと、彼の世話は必ずしないといけないのだ」、と思い直し何とか思いとどまるのだった。とはいえ、死ぬなんて勇気はなく、他力本願な無気力な感情・感覚。いちばん過酷だった頃にいちばん頼りにしたのは今思えば雷蔵だった。
雷蔵が私の元に来てくれていなければ、もしかしたら今私は存在していないかも知れない。すでに死を選んでいた可能性も無くはない。そう考えると、『もし私の人生に彼という存在がなかったら…』と思うことが恐ろしくもある。必要があって私の元に来てくれたのかも知れない、と。彼は「ホンマは、嫌々あんたのところに行ったったんやで〜」と言うかも知れないけど、本当に本当に感謝している。
そんな感じで生活が始まり、雷蔵3歳頃から、一緒に実家にも飛行機で帰省し、実家の犬たちを震えあがらせたり、堂々としたもので初めて一緒に帰省した際は少し戸惑っていたけど、2回目の帰省からはもう我が物顔で歩き回り、2階に快適なスペースを見つけてずっとやれやれ〜的な感じで寝てたな。
飛行機にもすぐ慣れ、帰省したら「ああ、この家ね、あそことここはゆっくり出来る場所、覚えてるよ〜」みたいな感じで、すぐ寛いでいた。
私の生活が混沌として来てから、親に悟られないようにしようと嘘を付き実家にしばらく帰らなくなってからは移動することと言えば病院への行き帰りの電車ぐらいになったが、それはそれで楽そうだった。
5年ほど私の生活の混沌が続き、心療内科へ通いつつ仕事をし、親には絶対に悟られないように必死になりつつ、最後の段階で親にもう隠しきれない…という状況になり、親に告白した後10日ほど帰省した時も雷蔵くんと一緒に帰った。
親と混沌の一部を共有して貰ってからは、すっきり前へ進める!という、ひとりで戦って来て正しかった、親のような善良な人間には言えない、と思いあえて絶対に言わずにいて正しかった。と思った。
それから弁護士さんだけにお願いして自分は表舞台へ出なくて良い状況になり、全てお任せし2年半ほどでやっと終わり、開放されてからは、やっと雷蔵との穏やかな生活に戻り、これからゆっくりと雷蔵くんの老後のことを考えよう、これから介護の年齢になるなあ〜と思っていた。
数年後、肉球にかさぶたのようなものが出来ていたのが気にはなっていたが、自分で剥がしたりしてびっこをひくこともなかったので、気付くと治ったりしてる様子だったので、そこまで気にしていなかった。
そのうち、仕事から帰宅すると畳の上に血が落ちていたりしている日もあって、「あれ?また瘡蓋出来てる?」と思っても、肉球を触ろうとしても、絶対触らせて貰えない。。。病院へ連れて行ったほうがいいのかな?と思いつつ大したことないのかな?という気持ちもあったりして、数週間後にやっと病院へ連れて行った。
(因に、雷蔵くんは子猫の頃から絶対に爪を切らせてくれなかった…爆睡してる間に切ってやろうと思って、そっと指を触った瞬間に、シャー!て言われたりして絶対無理だった。。。)
亡くなる7ヶ月前に病院へ行った時に、獣医さんの表情がちょっと変化したような気がする。その日は軟膏を頂き、様子を見ることになったがしばらく塗ってもなかなか治らない。その翌週行くとそのまま1日入院し、洗ってもらって、組織を切り取って精密検査へ回してもらった。
その2週間後、精密検査の結果を聞きに雷蔵と病院へ行ってそのまま入院。検査の結果は『悪性メラノーマ』。いちばん内側の指を切断縫合し、癌化した組織と周りの組織を取り切った。(はずだった)
動物の回復力は早く、切除後もすぐ歩いていたし、数日でいつものキャビネットの上などに飛び乗るようになった。1週間後、抜糸。キレイに傷も治っていて、歩くのも手術前とも変わらない様子で、私もホッとした。
そこからまた暫く平和な日々、6月下旬に撫でていて今度は腹部にしこりがあるのを発見。嫌な予感がした。そして7月中旬にまた病院へ。即入院〜手術。今回も組織を切り取り、精密検査へまわして貰った。
その後、1週間。深夜の発作。2回目の発作で急に天国へ行ってしまった。
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雷蔵の肉体が消えてしまって、10日後。大阪に住んでいる友人から電話があった。彼女は旦那さんと2人でオリジナルジュエリー&リペアのお店を経営している。そのお店のお客さんから電話連絡があったそうだという内容だった。『生後2ヶ月足らずの6匹の子猫を拾ったらしい、そのうち3匹は黒猫。雷蔵くんが黒猫やったし、亡くなってすぐで辛いやろけど、あっこちゃん黒猫飼わへんかなあ〜って思って連絡した。』という内容だった。
雷蔵が居なくなって辛くて辛くて、もう一緒に着いて行きたくて、何も考えられなくて、生きてることすらどうでも良くなって。里親募集の集まりなどに足を運んでみたりしても、ボランティアさん達のちゃんとした活動理念は理想としては理解出来るけど、人ごとに判断してくれない悲しさをとても厳しく受け取ったりして、余計に悲しくなったりした。
例えば、『単身者には基本的に譲渡しない』という項目を、『18年間一緒に生活していた黒猫を数日前に亡くして、猫がいない生活が無理なのでご縁のある子を探しています。』という話をしても、暗に『結婚していない人は論外、家庭を持ててない人には任せられない』ということをいわれているような気分になってとても悲しくなった。結婚するのが当たり前、家庭を築くのは当たり前、という意識を押しつけられているような気分。吐き気を覚えた。家庭があっても結婚してても、動物を家族として迎えない人がいる、ファッションアイテムとしてしか考えていない人もいる、私のような単身者でも、経験と知識はあると自負していたので、それはその概念で考えると全て論外なので、譲渡出来ません。といわれているようなとても悲しい気分になった。
そしてその時の私は雷蔵を失ってかなり落ち込んでいたので、余計に『あなたは人としてダメです、普通の人生を歩んでいない人は論外です。』といわれているように感じてしまった。
そんな時にかかってきた電話で、一時は躊躇した。子猫を飼おうと思っていなかったからだ。出来れば大人の猫で、兄弟(あるいは姉妹)で、と考えていた。それは自分の体力と健康のいつまで持続出来るかに少し自身が無かったからでもある。子猫の里親になると、健康で一生送るとして20年、あと20年健康で働けないといけない。そこまで自分は頑張れるだろうか?それにちょっと不安があったのだ。
しかし、ある意味友人に押し切られてしまった感じで、黒猫オスメス兄妹の里親になることになった。すぐ写真を送ってきてくれた。そこにはこの世に生まれてわずか数ヶ月の小さい小さい命たちが写っていた。涙がこみ上げて来た。雷蔵くんが繋いでくれるご縁なのかも知れない。
私が住んでいる場所は横浜市、友人は大阪府豊中市。迎えに行くということになった。とはいえ、彼らが社会性を少しでも身につけられるよう、彼女のお家で10日間ほど強化合宿させて貰えることになった。
彼女の家にも2匹の猫が居る。1匹は2歳ぐらいの女の子、この子は人間大好きで自分は猫じゃないと思っている。生後1日で捨てられていたのを彼女がふとした流れで保護することになり、懸命にお世話し、命を繋いだ。今では立派な猫になっている。もう1匹は茶トラの男の子。この子は人間が苦手、というより猫が好きな人間が苦手。威嚇するまでは行かないが、好き好き!と向ってくる人間をどう相手して良いのか分からないらしい。
2012年9月1日,2日と泊まらせてもらい、子猫たちと慣れる時間を儲けてもらった。子猫たちは初対面の私にもとても懐きすぐ遊んでくれた。とても人慣れしている。とても良い子たちだった。物怖じしない、とてもよく遊びよく食べよく寝る。
友人の家にいるメス猫ちゃんが女の子対応、人見知りなオス猫くんは男の子担当の様子で、微笑ましかった。私が昼間起きている時間は、オス君は全く出て来ず、夜中に子猫達を引き連れて、お水を飲みに来たり、ご飯を食べに来たりしていたというのを友人から朝起きて聞く。かわいいもんだなあと思った。
2日宿泊させて貰い、新幹線で横浜まで帰って来た。彼らとの生活が始まったのだった。
それから1年経ち、彼らは大きくなった。初めは彼らと一緒に居乍ら、雷蔵のことばかり思っていたが、少しずつ少しずつ雷蔵のことを考えなくなった。子猫の元気さに翻弄されながら必死で日々を送っている。
毎朝起きると、彼らが居ることを認識し、幸せがこみ上げてくる。今日も健康でいてくれてありがとう。
※現在は、3ヶ月半の白猫(オス) が更に増えて、3匹という大所帯になってしまった。これもまた追々…。
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