2014年2月7日金曜日

キジトラ猫について(1)

2014-2-7(Fri) 思い出しつつ。







2013年の7月20日に先代黒猫が亡くなってその10日後にご縁あって黒猫兄妹2匹を迎え、2014年8月16日からは更に白い1匹が家族となった。現在日々賑やかに楽しく振り回されながらまだ生かされていることに感謝。彼らが一生終えるまでは健康で働き続けられるよう願っている。

 先代黒猫が3〜4歳の頃(約15年ほど前だ)、通っていた荻窪の動物病院で「里親募集」の張り紙を見て「もう1匹迎えたい」旨を連絡しご縁ありキジトラのオス猫を引き取ることになった。
 窓口になった方と保護していた方とが私が当時住んでいた部屋に一緒に来た。その子猫は人懐っこくて元気いっぱいだった。相性も特に悪くない様子だったので、引き取ることにお互い承諾し、次の面会の後家族になった。
 約半年後、私は違う沿線へ引っ越しをしたので、通っていた病院の先生に病院を紹介してもらい、そこで半年過ぎたので去勢手術をすることにした。

 ここでの判断は当時の私の無知による完全にミスだったと今も後悔しているのだが。

  当時、忙しい会社に勤めており、ワクチンもついでにお願いしてしまった。(本来なら抵抗力が落ちているだろう去勢手術時には飼い主に頼まれても、医者のほうでも普通なら断るだろうという知人もいた)手術当日、病院へ連れて行って翌日迎えに行く予定だったのだが、病院から電話があった。

「手術後、意識が戻らずお渡し出来ません。様子を見ているので、また連絡いたします!」とのことだった。 彼に一体何が起きたのだ? 心配で仕方ないが何も出来ない。連絡を待つしかない。
  そして5日(約7日)後だったろうか。「意識が戻りました…」やっと病気から連絡があった。

 そして取るものもとりあえず病院へ駆けつけた。やっと抱きかかえられたが様子が少しおかしい。目の焦点が合っていない様子だ。まさか…。そのまさかだった。 彼は失明していた。僅かだが光は感じられているようだったが。

 連れ帰ったものの、先住の黒猫がいままでの様子と違うので威嚇する。気味が悪いのだろう。

 その日から、彼が亡くなるまでの2年間は戦争のような日々だった。

 帰宅したらリビングにはウンチが散乱。トイレの場所は匂いで分かるのか用は足せているものの、砂をかけてもちゃんと掛けられないのだろう。

 そのうち先住黒猫のストレスになり始め、彼の我慢も限界になり今度は彼から訴えのお漏らしを初めてされたので、柵を用意し、移動出来るエリアを限定した。黒猫だけが寛げる場所を作ったのだ。

 ある日帰宅すると布団に潜ってじーっと動かない。声をかけて撫でてやると少し呼吸が荒い。去勢手術をした病院ではなく、引っ越す前に通っていた病院へ電話しタクシーで行った。診断は皮膚気腫というもので、皮膚と筋肉の間にガスが溜まる病気なんだとか。。。

 紹介して頂いた病院で去勢手術をして、こんな辛い状態になってしまった。医療ミスではないのか?信頼出来る先生とおっしゃったが、違うじゃないか、と怒りを伝えたが、『たまたま弱い個体だったか、そして麻酔に過敏反応する子がたまにいるので、その一例かもしれない』と言われた。

 ※最近になって、今いる子たちを連れて通っている病院の先生に、『そんな例ってあるんですか?』と質問したところ、『多分、身体に対して麻酔薬が多すぎたのか、分量を間違えたか、何かしらミスということが考えやすいね。何かしらそういった状態になってから5〜10分など短い時間ながら脳に酸素がいかなかった場合、障害が残ることが多分に考えられるから。それによって特に視神経を破壊されてしまった可能性は高い。』とのこと。 (やはりそうか、私の無知から彼の命を早く奪ってしまった。申し訳ない。その上、紹介して貰った病院も合わなかった上、医療ミスに近いことが起きた。君にとっては辛いことばかりに、しんどい思いばかりさせてしまった。せっかく命を繋いで下さった保護主さんにも申し訳ないと思いつつ、保護主さん・連絡窓口の方も去勢するまで手紙などでこちらから連絡をさせて貰っていたので安心されたのか、そして引っ越されたのか分からないが、連絡取れなくなってしまったが…)

 そして尿道結石、休日一緒にいた時に何となくおしっこが出にくそうなので病院へ連れて行った。そのまま入院〜1週間手術。そのときは前回の病院の対応にやはり不信感があり、別の病院へ通っていた。 病院のみで取り扱っている食事になった。食費も治療費も高額、大変になってきた。しかし、彼のためにはやむを得ない。自分の責任でもある。

 ある日、突然痙攣を起こしてまた病院へ。癲癇の症状だった。脳のお薬は人間用しかなく、人間用の癲癇のお薬を8等分にし、毎日朝晩与える。大変ではあったがこれで彼が回復してくれれば。と願いつつ、与え続けたが良くならなかった。発作は減らなかった。

 ※イギリスでも問題になっている純血種のボクサー種に癲癇発作を起こす個体が増えているという映像を観たことがあるが、それはとても壮絶である。発作を起こしている本人の苦しみは勿論、飼い主の体力的精神的なストレスも大きい。ボクサー種はまた身体が人間ほどあり、抱き押さえるのも大変である。それほどでは無いにしろ、それよりは遥かに小さい猫でも、発作が起き始めたら素早く汚れてもいい大判のバスタオルを数枚用意し、抱き押さえられるように包んで待機する。そのうち激しく痙攣が始まるので、力を入れ過ぎないよう押さえすぎないよう、抱き押さえる。本人の意思ではどうしようもない状態で不随意に全身が痙攣を起こすので、家具の角などで頭などを打たないように『早く治まって!!』と必死で願いつつひたすら待つ。痙攣が起きると全身に力が入るので、糞尿が出てしまうのでそれでバスタオルが必要である。治まるとしばらく涎を流しながら呆然としている、そして暫くすると正気に戻るのである。

 動物病院の先生曰く、発作が起きると少しずつ脳細胞が破壊されてしまうらしく、なるべく発作が起きないようにその癲癇薬を与えているのだが、減ってくれないとの話をすると難しそうな表情をされていた。やはり治らないのだ。先も見えない。 いつ発作が起きるのかが分からないが、運良く私が一緒にいる時間に発作が起きることが殆どだった。 何度も何度も発作の対処をしたが、声もたてずただ優しくタオルに包むようにそっと、でもしっかり抱いて、発作が治まるまで離さない。静かにただ1秒でも早く治まってくれ、と無心に願うだけであった。 癲癇発作が起きるとその前よりも少しずつ脳が破壊されていくという言葉通り、少しずつ色んなことが不自由というか、今までの様子と比べて少しずつ悪化していっている様子に見えた。

 そしてある10月上旬のお昼。徹夜明けで帰宅、呼んでも返事が無い。いちばん奥の部屋にトイレを置いてあったので、またおしっこが出にくいのかと心配で見に行ったら、彼はトイレ砂の上で横たわって冷たくなり始めていた。既に死後硬直が始まっていた。

 その頃の同居人に泣きながら電話。お世話を1度お願いしていた知人に電話したが殆ど覚えていない。そして長い間話していたみたいで、同居人が仕事から帰って来た。

 取り急ぎ病院へ電話し、霊園を紹介してくれたので、そこへ電話し葬儀の準備を。翌朝、車で迎えに来てくれるということになったが、自分が全て悪いのだと後悔してもしきれず、一睡も出来ない。

 申し訳ない、ごめん。せっかく楽しい一生を送って貰えるようにと、里親になったのに、何もしてあげられたのか。彼に与えられたのは『苦しみ/痛み/悲しみ』だけだったのではないか?私は彼にとっては悪魔だったのか…。本当にごめんなさい。無知というのは本当に悪なのだ。

 翌朝までに既に死臭がしてくる。現実。腐ってきているのだ。まだ暑い時期なので、一晩で内臓からすでに腐り始めてしまった。生命活動が停止すると、腐敗が始まる。独特の臭い。彼の一生を3年足らずの生命活動で終わらせてしまったのは、私だ。

 身代わりになれれば、私が代わってあげれれば、彼はせっかく助かった命を全う出来たのに。私が死なせてしまった。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が殺した。。。。

 謝っても謝っても帰ってこない。 君はなんのために生まれて来たのか。なぜ私のところへ来てくれたのか。私に何を教えてくれようとしたのか。 ありとあらゆる起こりうる事故・病気・障害、全てを請け負う覚悟をもって里親となること。そう、私にはその覚悟が全く無かった。そこまでの覚悟をした上で命を預かる、それを私はすっかり忘れていた。というかそういうことを一切人ごとのように考えていた。それを彼は私に教えてくれたのかも知れない。

 そう思えるようになったのは最近になってだが、もし次に彼に再び会えたなら謝りたい。そしてチャンスをもう一度貰えるのなら、また家族として一緒に暮らしたい。今度は穏やかな一生を送れるような環境を提供したい。

 

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