2012年7月23日月曜日

うちの猫。3〈2012.7.20.金曜日深夜〉

【以下、生々しい描写・画像がありますので、苦手な方・辛い方は読まないで下さい】
1:00am ベッドでいつも通り一緒に就寝。夜のご飯も普通に美味しそうに食し、トイレにも行った。ベッドで私が大の字になって寝、その足の間でいつも彼は寝る。いつもの夜だ。

1:45am〜1:50am 突然軽い荒い息づかいで目が覚めると、痙攣始まっていた。おしっことうんち少し漏らす。ハアハアと息をしている。ハアハアと息をしながらの朦朧状態しばらく続く。病院に電話。症状を説明する。身体を支えてさらに激しい痙攣が起きても対応できるようにと考える。前に死んだてんかん持ちの猫ほど激しい痙攣は起きなかった。

しばらくして起き上がってベッドから下りるが方向が分からない?立ってはいるが、朦朧状態続いているので抱き上げてエアコンのある部屋へ異動。

ハアハアと荒い息づかい、涎が垂れている、水を指に浸して口を潤してあげるしかできない。

2:05am 呼吸がやっと落ち着いてきた。 てんかん発症していた亡くなった猫の発作よりは軽いが意識が少し飛んでいる感じ。身体を支える。脳細胞が少し破壊されてしまった可能性も考える。まだボーっとしている。

エアコンの機械がたまに軋む音にもやっと反応するようになった。涎拭こうとしたらやっとニャーと鳴いた。

2:15am 意識が少し戻って来たか? 立ち上がって私を見る。分かってるんだろうが、触ってもいつものようにガブガブして嫌がらない。

2:40am ずっと撫でている。徐々に落ち着いてきた。

2:55am タオルケットが汚れたので、洗濯しにしばらく外して戻ったら、テーブルの下にいた猫が居ない。さらに奥のテレビ台(キャットタワーを固定している場所)の奥で横たわっている。

3:00am 再び発作のような状態でハアハアし出す。足取りもフラついている。水を口に垂らす。 ボーっとしている。

3:05am〜3:10am 再び発作のような痙攣が起きて聞いたことのない太い声でニャー!ニャー!と息苦しそうに2回鳴いて大きく息をしながら冷たくなっていった。電気が切れたロボットのように動かなくなっていった。嘘のようだ。「ちょっと!嘘やろ?嘘やろ?おーい、おーい!」と何度も呼んだが嘘のように動かない。

病院へ「死んじゃいました」と連絡。瞳孔が開いてしまっているし、呼吸もしていない。心臓も動いていない。死んだのだ。

その後実家の母に電話、母親のほうが号泣している、2人で泣いた。帰省する際、実家に一緒に連れて帰っていたので、情が沸いていたのだろう。

6:10am 死後硬直始まる。弛緩始まると残っていた糞尿が絞り出されるようにして少しずつ体外に出る。拭いてあげる。全身キレイにしてあげる。

太ももに気付かなかった大きなしこりがあった。これも手術となると左足切断ということも考えられるほどの大きさ。なぜ気付かなかったのだろう。あまり触らせてくれない部位ではあるが、少し後悔してしまう。ただ手術してもしても次から次へと再発するのであれば、この発作で一気に逝ってしまったことは、彼にとって幸せだったのかもしれない気もするのだ。痛い思い、辛い思いが少なくてすんだのだから。

7月16日に右脇腹に出来た腫瘍部分を10cmほど切除したばかりで、痛々しい縫い傷がある右側を下にし、見えないように布団に寝かせてあげ、全身をキレイに拭いた。首の下のほうにも少し小さいが腫瘍のようなものがあったので、これも切除となると、この小さい身体で切り落とされる皮膚や組織がどれほど負担になるのか…と考えると、本当にいちばん楽に逝ったのかも知れないなと思う。

7:00am 死後硬直がどんどん進んでいる。死がリアルなものとなってきた。触るとまだ温かいような気がする。手足先は少し冷たい。

9:00am まだまだ温かい。が、手足の先はどんどん冷たくなって硬直し始めてる。背中はまだ温かいので気持ちが混乱する。

銀行へお金を下ろしに行く。葬儀代35,000円。棺付きだとプラス5万円というので、普通の個人葬でお願いする。

葬儀社が迎えに来てくれる11時まで一緒にいよう。時間が経つのが早い気がする。お別れするのは早すぎだろうか?という気持ちが湧いてくるが、7月20日この時期にしては涼しいとはいえ、現実的に既に少し死臭がしている。それが唯一この今の状況が「現実なんだ」ということを嫌でも納得させられる。

頭がずっと混乱しつつ葬儀業者の方が11:05ぐらいに到着。好きだったご飯とおもちゃを手に布団に寝ている猫を抱えて車に乗り込む。ああ、もうすぐお別れなんだ。

葬儀屋さん「キレイな猫ちゃんですね。」と言って下さる。“ええ、とってもキレイです。18歳にしては毛ヅヤも良くて元気だったんですよ。急に発作が起きて、いきなり逝ってしまいました。年齢の割には歯も丈夫で、病院の先生にも褒められました。自慢の息子、ならぬ自慢の猫です” 色々な話をしながら10分ぐらいで川向こうの斎場に到着。夏なのにかなり肌寒い日だ。

祭壇のある部屋へ通され、額に飾る用にメールで写真を送信。すぐ大きく印画紙に出力してくれ、飾ってくれる。キレイなまま寝てる。本当にキレイな身体だなあ。何ごともなく寝てるみたい。

申込書にサインしている時、猫の横たわっている方向から「ニャーニャー」と声がしてハッとした。まさかね、数時間も前から死臭がしているし、瞳孔も開いてしまっている、そんな生き返るなんてうまい話がある訳ないよね。と思いながら生き返って来てるところなら火葬してしまったら、取り返しがつかない…などと色々なことを考えながら申込書に記入する。

火葬の準備が整うまで、しばらく部屋に2人で過ごす。怒るのであまり触らせてもらえなかった後ろ足の肉球を存分に触り、いっぱいキスした。いろんなところにキスした。家にいる時も身体中にキスしまくってやったが、どれだけしてもし足りない。なんて愛おしいんだろう、なんて…。

暫く経って火葬準備が整い、移動する。焼き場の部屋へ移動し、花でいっぱいにしてあげる。まだ寝てるみたいね。あんたの好きなご飯も一緒に持って行くんだよ、足りるかな?美味しいよ。モンプチのいいレトルトご飯だよ。シーバのレトルトほうが良かったかな?全部は持って行けないんだよ、ごめんね。また今度会えた時、いっぱい美味しいご飯あげるからね。鰹節も、干しかまも入れてくれたよ。

12:00pm いったんお別れの時間。ごめんね。もっともっと早く気付いてあげれば良かったね、腫瘍があるの気付けば良かったね。そういう病気の知識が無くてごめんね。あんた、キジトラ猫くんと違って元気だったから大丈夫だろうと、過信しちゃったのかもね。ごめんね、本当は辛かった?しんどかった?気付いてあげれば良かったね。ダメな飼い主でごめんね。もっと一緒に居たかった。

肌寒いので、冷房を止めてもらい、外で一服。斎場の方に聞いてみた。「この辺て、野良猫居るんですか?」そしたら、「裏のお家で猫飼ってます。」とのこと。ぬか喜びさせやがって、生き返ったと思ってしまったやん…。と思いつつ、笑ってしまった。しばらくひとりで待つ時間。

13:30pm お骨を拾う。「しっぽの長い猫ちゃんだったんですね。」“ええ、とても。とてもいい猫でしたよ。とてもとても愛してました。大好きでした。私の全てでした” 18歳という高齢にも関わらず、歯もしっかり残っているし、爪も割と残っている。本当に丈夫な子だったのだな。神経系へ影響が出るような、圧迫する発作が起きてしまい、心臓が止まってしまうような発作。苦しかっただろう、ごめんね。何もしてあげられなくて。側にいてあげることしか出来なくて。

本人がいちばんびっくりしてるだろうと思うぐらい、急だったな。私もびっくりして、いまだに嘘じゃないのかなと思ってるようなところもあるし、本人はそれ以上に、理解していないかもしれない。もし、魂というものががあるなら。

小さく軽くなってしまった猫のお骨を抱えて支払いを済ませる。駅まで斎場の車で送って下さるそうだ。花束をくれた。動物病院の先生からとのこと。有り難い。いろいろお世話になった、私は手も思いっきり噛まれたし、腫れたし。 嫌いだったよね、そりゃ。ワクチン摂取でしか病院行ったことないのに、爺さんになってから病院通うの、そりゃ嫌だったよね。ごめんね。辛い思いさせて。 もっと優秀な飼い主だったら、病院に通うのもストレスに思わせない、良い飼い主だったら…。ごめんね雑な飼い主だったね。足りなかったところも多いよね。

駅まで送ってもらい、午後14時半から仕事する。仕事してるほうが気が紛れる。

21:30pm 退社。帰路につく。初めて見た仕事場、どうだった?楽しかった?色々遊ぶところがあって、楽しかったでしょ?走り回ってた?誰の机に上ったりしたの?お家より広い場所で、楽しかったかな?とか心の中で色々と話かけながら、帰る。

とにかく疲労していたので、ほとんど覚えていない。記憶も曖昧。朝2時に発作が起きてからの記憶がところどころ抜け落ちている。突然すぎたし、ところどころ、これは嘘なんじゃないかと思ったりしつつ、本能で対応して動いてた一日だけに、当たり前なんだけど。

ただ、混乱せず冷静になれたのは、前に飼ってたキジトラ猫がてんかん発作持ちだったから。それの対応をした経験があったおかげで、今回の発作も冷静に対応した。

ありがとう、そっちでは、ちょっと先輩だから、彼のこと頼むね。キジトラ君はフレンドリーな子だけど、黒猫くんは若干人見知りだから、よろしく頼むね。 そしてまたいつかまたうちに来て一緒に暮らそうね。

18年も一緒に居てくれて本当にありがとう、辛い時に君たちが居てくれたことに感謝してます。ひとりだと今頃生きていないかも知れないぐらい、辛い時もあったけど、そばに居てくれていっぱいいっぱい助けてもらったね。とてもとても感謝してるし、君たちに会えて、一緒に過ごせた時間は、宝物です。世界一幸せだと思う。ありがとう。そして、絶対にまた会おうね。その時はまたいっぱい遊ぼうね、美味しいものいっぱい食べよう、いっぱい昼寝しようね。

その時まで、バイバイ。

今年春ぐらいの映像↓じい様のくせに艶艶しています。


不思議な猫だったな。男前なんだけど、去る時まで男だったな。老いて醜態をさらすのは彼の美学に反するということだったのかも知れない。もし話が出来るなら、聞いてみたいと思う。

2012年7月17日火曜日

2012/6/10【福島・原発】 宮台真司×坂口恭平(新政府初代内閣総理大臣)


言葉のテンポがとても心地いいのよ、宮台さんも坂口さんも。
頭の回転が早いだけじゃない、心地いい。楽しい。ワクワクするんよねー!

やっぱりダンゴムシだよ、ダンゴムシ。田舎もんだから特に共感出来る。

自分の感覚が言葉に変換してくれている…そんな感じだな。
モヤモヤしたものがスーっと晴れていく感じ。
いつもそんな感覚があるな、坂口さんの話って。

システムに依存している人、リアルを知らない人には
坂口くんの言葉は理解出来ない、分からないね。(宮台さん)

文七元結』も好きな噺、快楽亭ブラック師匠の『文七ぶっとい』はもっと好きだけど(笑)


↓楽しみです〜♪
8/1(水) 坂口恭平アルバム「Practice for a Revolution」発売
8/4(土) 坂口恭平1000人コンサート@渋谷 先行予約開始
坂口恭平が歌う《魔子よ魔子よ》収録 大杉栄の冒険旅行記『日本脱出記』

うちの猫。2

悪性メラノーマ、再発してしまった。(病理検査の結果が出ないと確定では無いが…)
※上記リンク先は犬の病状。猫のはなかなか記事が無い…。

今度は右脇腹、後ろ足の付け根あたりにしこりのようなデキモノが出来ていたので病院へ。その日入院、外科手術は出来た。 連れていった日、先生の説明は『レントゲン撮って、もし肺や他の臓器にも転移的な病巣が見られた場合、脇腹のデキモノを切除しても他の部位にある病巣が肥大する場合が多いので、手術出来ない。』とのこと。

翌日迎えに行くまではどうなるのか…様子が分からないが、でも考えても仕方がない。なるようにしかならない。ただ、本人(猫)にはまた辛い思いさせてしまう事が辛かった。

翌日夕方迎えに行く。『他の部位には怪しい病巣的なものはありませんでしたので、取りきれました。ただ心配なのは、血液検査で腎機能の低下が見られたこと。老齢なので慢性腎不全に向う可能性がある。なので、手術の際に麻酔が通常のは使えなかったので、云々。』ああ、やはり。水を大量に飲む、おしっこもいっぱいする、もしかしたら…と思っていたが、やはりそうか。

18歳なので、仕方がないとはいえ、食事には今後気を付けないと悪化させてしまうとまたしんどい思いをさせてしまうなあ。と、これから徐々に介護に向う覚悟をしたのでした。

ゆっくりゆっくり衰えていくのを見るのも、一度動物と生活を始めた者の義務だろうと思う。 徐々に衰弱していくのを見るのは辛いことだけど、猫、動物とはいえ、それは一度家族として迎えた者のやらねばならない事だと思う。

とにかく今は元気で特に変わった様子はなく(よく水を飲む、おしっこの回数が多いのはあるが)脇腹皮膚を直径10cmほども切除する手術をしたとは思えないほど、動き回っている。動物は凄いな。人間だとこうはいかない。数日ベッドから起き上がれないだろう。

また来週病院へ行くので、いろいろ相談しようと思う。…というのも、今回気付けば良かったのだが、首の付け根あたりに小さいしこりがあったので、またそれも今回と同じような触り心地なので、とてもイヤな感じがするのだ。

部位的に切除手術が出来るのか?部位的に首なんて大丈夫なのか?と思うので、いろいろ詳しく聞きたい。

今回の手術代〜病理検査代で、約¥60,000也。…い、い、痛い…。痛いけどどうしようもない。命には代えられないよ。


※帰宅してやっと寛いで首カイカイ!してる
※眠そう、ウトウトしてる

※オムツみたいな包帯をされて、男前が台無し!

2012年7月5日木曜日

読書メーターより、コピペ。

6月の読書メーター
読んだ本の数:8冊
読んだページ数:2070ページ
ナイス数:6ナイス

ラディカルな意志のスタイル (1974年) (晶文選書)ラディカルな意志のスタイル (1974年) (晶文選書)
読了日:06月28日 著者:スーザン・ソンタグ
ゴッホの手紙 下 テオドル宛 (岩波文庫 青 553-3)ゴッホの手紙 下 テオドル宛 (岩波文庫 青 553-3)
読了日:06月22日 著者:ヴァン・ゴッホ
ゴッホの手紙 中 テオドル宛 (岩波文庫 青 553-2)ゴッホの手紙 中 テオドル宛 (岩波文庫 青 553-2)
読了日:06月22日 著者:ヴァン・ゴッホ
ゴッホの手紙 上 ベルナール宛 改版 (岩波文庫 青 553-1)ゴッホの手紙 上 ベルナール宛 改版 (岩波文庫 青 553-1)
読了日:06月22日 著者:ヴァン・ゴッホ
独立国家のつくりかた (講談社現代新書)独立国家のつくりかた (講談社現代新書)
一気読みしたのって平山夢明氏の「Diner」振りって全く毛色が違うけど。読む前後で変わったかと言うと全く変わっていない自分がいる、寧ろコアの部分が筆者の表現を使うと「解像度が上がった」というほうが正確かも知れない。まさにプロローグのドブ川の冒険のような子供時代を山で川で私は弟とまたはひとりで体験しているので、映像がどんどん観え来てしまって、読んでいる時間は終始ニヤニヤしていたと思う。これを甥っ子達にぜひ読んで欲しいと思い、もう1冊購入して送るつもり。
読了日:06月13日 著者:坂口 恭平
女は男の指を見る (新潮新書)女は男の指を見る (新潮新書)
読了日:06月09日 著者:竹内 久美子
アメリカ (角川文庫)アメリカ (角川文庫)
読了日:06月02日 著者:フランツ カフカ,フランツ・カフカ
芋虫  江戸川乱歩ベストセレクション2 (角川ホラー文庫)芋虫 江戸川乱歩ベストセレクション2 (角川ホラー文庫)
読了日:06月02日 著者:江戸川 乱歩

2012年6月の読書メーターまとめ詳細
読書メーター

「メランコリア」追記。

トリアー監督「メランコリア」鑑賞後、劇場でプログラムを購入して、読んだ。
そこには ”トリアー監督は鬱病を患っていて…云々、鬱状態で考える究極の解決策” 等々なお話が書かれていたが、普通に「地球が消えてしまえばいい」と思っている私は頭がおかしいのだろうか?幼少の頃からなんだけど、これ。そう思うのが普通だと思っている自分には当たり前の事じゃないの?…と。

※厳密には、人間だけが消えてしまえばいい、と真顔で思っている。

特に現世に執着も無いし、平和になるのはそれだと思うなあ。

最近ちょっと嬉しかったことは、階下に住むチビくん(※画像が、大きいけど名前は“チビ”くん)の飼い主さんが「貴方と会わない日はよくニャーニャー鳴いてるよ。最近会わないと寂しいみたいだよ!」と言われたこと。動物は裏切らない、人間と違って自分のエゴだけを押し付けない。自分の欲求だけを自分勝手にアピールしない。計算高くない。思ったまま感じたままを表現する。誰にどう思われてるか、とかあまり考えない(動物同士でもいろいろあるんだろうけど 笑)。
楽だ、本当に。

私自身、あまり人にどう思われるだろうとか考えないほうなので、自分が行動したことに対して人がドン引きしたりしても、仕方がないか、と思うだけ。その人にはキャパシティが無かったのだ、と思うだけ。どんなに好きでも、無理なものは無理だと思っているし。ただ、本心を誤摩化して生きるような人とは今後接点は持てないな。疲れるし。察することは相変わらず苦手だし。言えばいいじゃない、接すればいいじゃない、としか思わない。会って大切な話をしない人とは距離をおく。面識が出来ればほぼもう大切な人、なにか理由があるから会ってる訳だし。それを自分の弱さやかっこわるさを隠すためにばつが悪いから誤摩化してしまうことに、こちらは気付いてるけど、もうあえて言わないだけです。

人がどういう洋服を着ている、どういう靴を履いている、何何のブランドバッグを持っている、どういう彼氏がいる、どういう仕事をしている、どこどこの大学を出ている、年収がいくらある、どんな車を持っている、どんな○○を持っている、どんな○○を持っている、どんな○○を持っている、、、私にはどうでもいい。その人がどういう事を真剣に考え、どういうことを成し遂げたいと真剣に思っているか、真剣に行動しているか、自分の内部から湧き出る感情にどこまで素直になれているのか…ただそれだけにしか興味が無い。他には興味は無い。そういう物に囲まれていなければ、不安だ…という人はそういう自分なのだということを認め、開き直ってその世界でその世界の人と生きていけばいいと思う。こちらは何の保証もない、リスクだらけの世界。覚悟が無ければ腹をくくらなければ息が出来ない、多分君には無理だ。












こないだメモったことを残しておこう。

全ては「空、無、幻、脳の勝手な判断と解釈」であるということ。でもそれなのに自然と自分の中から起こる感情はどこからやってくるのかな?自我・意思ってなんだろう?

好きな人、友人、尊敬出来る人との間で、自分にとってうれしい事があると、それが「有限」であることを忘れて勝手に期待してしまうアホな学習能力の低い人間だ。

それが消えてしまいそうになると、または消え去ってしまってから「悲しい」という感情が生まれる瞬間がそのうちやって来て、「ああ、忘れてた。分かってたのに相手の本心を見ずに近寄ってしまった」と毎回思う。

私は他人から好きになって貰えるような人間ではない。そういう有難い状況が発生した時も「それが有限である、変化する、消滅することである」ということを忘れてはいけない。 忘れると脳の勝手な解釈で「悲しい、切ない」といった感情にいずれ支配されてしまうだけだ。

「悲しい」なんてなにを偉そうなことを言ってるんだ?君は。そんなことが言える立場では無いのを自覚しなさい。

ただ淡々と日々を送って死が己を迎える用意が出来るまで、他人に期待などすることなく最低限の生命活動を維持すればよいだけのことだ。

 できる限り目立たず息を潜め、誰にも本来の状態物体としての意識としての「無」に戻っても気づかれぬように配慮しなさい。もとの「無」という状態に戻るだけだ。心配することではない。

和ラダイスガラージ: 和ラダイスガラージ - Men's テクノ会 -

★和ラダイスガラージ: 和ラダイスガラージ - Men's テクノ会 -:

2012年7月14日(土)
OPEN/START 23:00
@ FORESTLIMIT   http://forestlimit.com/ 料金:2,000円(w.1Drink)

今回は行けるかなー…
その日、これの前に夕方からはこちらへと。↓↓↓↓↓


★7/14(土)「新作CD『名人宣言』発売記念快楽亭ブラック毒演会」
@ お江戸日本橋亭
OPEN 17:30/START 18:00
[出演]快楽亭ブラック
[料金]3,000円(新作CD『名人宣言』付)

それにしてもブラック師匠、安すぎですぜ!
もうちょっと色気出してもええんとちゃいますのん?
…と思ってしまう程良心的な価格設定すぎ。

2012年7月2日月曜日

ラース・フォン・トリアー「メランコリア」

先日、キネカ大森で映画を鑑賞。 ラース・フォン・トリアー「メランコリア」と、アンドレイ・タルコフスキー「サクリファイス」の2本立て。 「メランコリア」観たいな〜と思いつつもロードショー上映中に結局行けず仕舞いだったのだけど、キネカ大森で再上映とのことでやっと観られた。(しかもタルコフスキーとの2本立てとかお得すぎる!)

(↓映画スチールと共に)オープニングがこの曲です…。
ストーリーは地球に巨大惑星が接近してきてしまうというお話。それにより環境が大きく変化するのだけど、対するそれぞれのキャラクターの反応。若干ネタバレになってしまうけど、惑星が地球に衝突してしまうことへの主人公ジャスティンの感情がすごく共感出来るなあと思った。

今自分の気持ちも割と同じ感じ。前のポストに猫のことを記したけれど、守るものといえば今の私には猫だけ。猫だけというよりは、猫を守るためなら何でもする。そして高齢なので、彼(猫)が寿命を全うするだろう年月もあと数年だと思う。もし命が尽きたら、私は特に今の世の中に何も執着するものがあまり、というか殆ど無い。なので、地球が惑星により消滅しようが別に良い。むしろ人間だけ消え去ればいいとすら思っている。人間が居ることは、現在のいろいろ起こっている出来事を見ていると地球にとっては害以外の何者でもない。 生態系の頂点に立っているなど勘違いも甚だしい。好き勝手して目の前の利益や自分さえ良ければという今の世界の状況にもう怒りを通り越して、もはや虚しさしか沸いてこない。

少しでもそういう人とは離れていたいと思うし、そういう人と接するエネルギーはもう使わない。使いたくない。欲は無い人は居ないけれど、お金や自分の地位や、関わり合う他人を肩書きや学歴で評価する人とは特に。無意識に先入観で他人を評価して安心する人、そういう人は(一見)ぬくぬくしたその世界から出ちゃダメだよ。または、その今居る世界が貴方のベストな環境なんだから、一生その世界だけで生きていけばいい、こっちに来ないほうがいいよ。なんて考えたりしてる。

自分の弱さや変化しようとしない怠惰な状況を己が無知であることを自覚しようとせずに相手のせいにしたりとかね。例えば、今の環境より変化した後の環境のほうが金銭的に過酷である場合、それに別の理由をつけて誤摩化したりね。自分がやり始めたことを自分できっちり後処理しない人とかね。自分も含め、そういう人と接していくことは今後は無いだろうな。限りなくゼロに近くなるな。

私は、他人にどんどん興味が無くなっている、というよりは、興味を持てる面白い人だと思って近づいたにも関わらず、表面だけだったな…結局自分のことばかり構ってちゃんだったのか…自分が!自分が、自分のことを…、持ちつ持たれつという概念など全く無い無償に自分にだけ与えて!という人と接する経験が最近多くてちょっと辟易中…。

なんなんだろなー、他人と関わることを恐れて狭い世界から出られないそういう人とは今後はちょっと距離を置くと思う。男女とも。本心を隠して探ってみたり、コントロールしようとしているのがうっすら匂ったり。そういう会話やコミュニケーションは私には無理だなあ。誰かに言ったことあるけど、「私は、殴り合いの喧嘩のような本気の試合的なコミュニケーションしか取れない」っていうのは今後も変わらないと思うし。そういう虚しい経験が立て続けにあると、やっぱりね、アホらしくなってしまう訳。

自分はこういうことをしたい、絶対やる!なんて本気出す出す詐欺、そういう人って出さなくて突っ込もうものなら、聞かされたこっちのせいにするタイプが多いしね。

映画の感想というよりは、かなり脱線してしまったけど、正直色々な事に対して辟易してたので、「妙〜にスッキリ!した」という映画だった。ウド・キアーが出演してたので、ちょっと得した気分。相変わらず素敵な俳優さんだ。

映画オープニング、ワグナーの「トリスタンとイゾルデ」が素晴らしかった。


↓オープニングです↓鳥肌がたった。
Melancholia (2011) - Opening