2012年1月30日月曜日

夏よ早く来い。

今日はシネ・クイント『ヒミズ』をレイトショーで観てきました。いろいろ思うところはあるけれど、また後日まとめたいと思います。てなことで帰りの電車で携帯のメモアプリでメモってたら乗り過ごしてしまい、心も激しく寒くなってやっと帰宅した…寒かった、そして疲れたぜ。



そんなこんなで(どんなだ…)よく考えることなんだけど、自分にとって今、何かしらの関係性を持ち合ってる人ってすごく貴重なご縁の上で、なんだと思う。その中でも更に密に関わりあってる人たちって何か役目とか意味があって接してるんだろうな。この広い広い世界の中で関わりあってるってすごい確立じゃない!と思うのだけど?

否定的でも肯定的でもいい。現在保留中でいつ関わりが復活するのか、はたまたいきなり切れるのか?分からないけど。 それでも接点のある人たちって本当に不思議なご縁なんだろうな~。自分から切るのか?相手から切られるのか?明日生きてるのか?いきなり命が尽きるのか?分からないけど。

親にしてもそうだけど、なぜこの親の元に生まれたのか?なんて考えると不思議だなと感じるのですが。みなさまはどうとらえて生きてるんだろうな~と考えたりして。

あ、また思考が走ってる…深夜は危険なのでそろそろ寝ませう。  

AMATERAS LIVE @ 祐正寺01 / 静寂 ~ ホーメイ 倍音共鳴
少し怪しげですがここちよいっすなー。東横線の電車の音かしら?

Crystal Bowl Meditation


こういった倍音のLiveの映像って、みなさんちょび髭生やしてたりして怪しげな感じが増幅されてるのが残念。もっとこう違う胡散臭さをぬぐって欲しいなーと個人的には思いますが。

2012年1月25日水曜日

「J.S.バッハ―G線上の幻想」

Jan Švankmajer - J.S. Bach Fantasia in G Minor(1965)
「J.S.バッハ―G線上の幻想」 
ヤン・シュヴァンクマイエル監督作品で使われているクラシック/オペラ、なんという曲名なのか知りたい知りたい!

↑↑↑↑ 削除されてしまいました;; ↑↑↑↑
是非DVD入手してご覧下さいませ。


Rosa Ponselle - Vissi d'arte 1919
プッチーニ『歌に生き、恋に生き』 
オペラの舞台というものもいつか観てみたいものです。

2012年1月21日土曜日

女はつらいよ。

自分のドストレートな性格は一生治らない、それもこれもひっくるめて大好きだし、変わりたいとは思うけど無理だよな。変わりたいっていうよりは、このままでもっと巨大な力を得たい!ってだけか。まあいいか。ストレートな表現でストレートな言葉で。シンプルに生きたいのです。世間様(保守的な方)からの風当たりはかなり強いけど、自分にとってストレスが少ない生き方。大勢に迎合して生きるよりはこっちのほうがいい。ひとりでいい。無理して合わしたり合わされるなんてまっぴらだ。

女はつらいよ - 二階堂和美

猫がニャ~て、犬がワンッ! neco眠る with 二階堂和美


同じことを繰り返しつつ、悲しいこと胸が締め付けられるような辛いいろんなことも、好きな人と一緒の時間を過ごせてそれで幸せすぎて、ついニヤけてしまうようなこと、そんなありとあらゆる経験をしつつ、『あー楽しかった!』って死ねたらそれでいいかな。

2012年1月20日金曜日

今でもみょんちゃんのこと、大好きやー。

うだつのあがらない20歳の青年が初恋の女の子と偶然再会し告白しようとするも、事件に巻き込まれ殺されてしまうが、むちゃくちゃがんばって生き返るまでの夢のような冒険のお話
 〔訂正〕むちゃくちゃがんばって生き返り、みょんちゃんとその姉ちゃんを連れて逃げる。しかしなぜか鯨に飲み込まれてしまい、鯨の腹の中で過ごし始めるが…。という夢のような冒険のお話。お姉ちゃんが自分のやりたいことを実現していく様に無性に胸が熱くなりました。

Mind Game (2004) - Trailer


原作:ロビン西/監督:湯浅政明/音楽:山本精一

愛だね。無我夢中で誰かのために生きたい。
いや、なろうと思えばなれるんだろうけど、なかなか難しいよなー。
でもそういう相手がいるって幸せだと思う。
大切に思えるひと、そのひとが傷ついてたら自分のことのように心が揺さぶられてしまうひと。そんなふうに大事に思えるひとがいるってことは価値のあることなのかも。

作画がSTUDIO4℃なんだねー。『サムライ・チャンプルー』にもよく似た描写が出てくる(こちらはマングローブというスタジオですが)。あんな感じ好きな方にはおすすめです。ほとんど今田演じる西の台詞が関西弁なのでダメな方はダメかも。

その今田耕司、めっちゃハマってます。西さんの漫画はいつもスケールが宇宙的規模で大好きなんだよな~。 daily vitamins(全力でヒマをつぶしにいきます)というサイトで『エリートガス屁くん』という漫画が読めます。なんか切ない話。名作です。

死後くんの『I Myモコちゃん』 も面白いよ。哲学的なようなぜんぜんそうでもないような。



☆おまけ☆ Mind Game マインド・ゲーム Masaaki Yuasa - Tribute

2012年1月19日木曜日

ウリチパン郡 と オオルタイチ。

好き。
とにかく生きて行こうって思う。
聴いてるとなぜかそんなふうに思える。
そしてPVで完全にトリップできる(ドラッグムービーならぬドラッグPVだな)。
私の好きな横山裕一氏の絵にも通じる世界観。 

ウリチパン郡 - アトランティス

この目開き いつか一人に堕ちるまで
踊ろ 踊ろ 踊ろ
その身 焦がす炎 見つけたら
明日への合図
あー 船に乗れ
ユラ ユラ 揺り揺られ
バイバイ アイランド
Foggy hometown
ユラ ユラ 揺り揺られ
ノア is waiting for a ego

記憶 奥深くから トロトロ溶けていく
にじむ光が どんどん僕を照らしている
天の岩戸がひらけば おさらば
アトランティス
バイバイ

ユラ ユラ 揺り揺られ
曖昧 マイ ソウル
Foggy hometown
ユラ ユラ 揺り揺られ
ノア is waiting for a ego

浮かぶ 花の乗り物 思い出したなら
歌お 歌お 歌お
はだか 照らす炎 見つけたら
旅立ちの合図

あー 船に乗れ
アトランティス
バイバイ


OORUTAICHI - Beshaby (PV)
 

OORUTAICHI - FUTURELINA(PV)

2012年1月15日日曜日

シュタイナーコレクション2 内面への旅〔メモその1〕

シュタイナーコレクション2『内面への旅』 (ルドルフ・シュタイナー)
読んでる最中。
メモ的に。

要はキリスト教的考えで言うなれば『悪魔』にたぶらかされて人間はこうなってしまってるんだよ~っていうことを延々とシュタイナーさんは言わんとしているのだろうか?という解釈で読んでいるんだけど。 。。
なんともかんともむじゅかしー!!

〔第三講〕より


 本来の人間の視力は、眼を通って外へ向かい、事物にまで達するはずではなかったのです。視力は本来、眼そのものまでに達すればよかったのです。もともと神々の意図によれば、どんな視力活動も、眼を直接意識するのでなければならなかったのです。ですから、本来、人間は外の事物を見るべきだったのではなく、自分の眼を感じ取るべきだったのです。
 人は、眼そのものの中で生じる活動を意識すべきだったのに、現在の人間は、見る行為を意識しないで、眼の向こうから働きかけてくる外的な対象を意識するようになりました。しかし人間は、対象を見るようになるはるか以前に、すでに見ることそのことに集中すべきだったのです。つまり眼の中で、自分自身を意識すべきだったのです。眼の活動そのものを感じ取る必要があったのです。
 現在の人間は、眼そのものの働きを感じ取ることが出来ません。手の働きを感じ取ることならできます。少なくとも、手でものを掴むのか、手を自由に動かすだけなのか、区別できます。手そのものの活動を意識できます。これが現在の人間の状態です。とはいえ、はじめからそのように意図されていたのではなく、自分の眼や耳を、つまりなんらかの感覚器官を働かせるときは、そこに支配する意志を知覚するように、意志の中を遊泳できるように意図されていました。このことは、眼がものに触れる、そのやり方からも知ることができます。
 手がものに触れると、眼がものに触れるのとは、まったく同じ在り方であるはずだったのです。何かを手で掴むと、その何かが硬いか柔らかいか、すぐに感じ取れます。そのように眼も手と同じ在り方をするはずでした。もしもエーテル体が正しく肉体の中に組み込まれていたならば、眼だけを感じ取り、いわば直接的に、支配する意志を眼の中に感じ取ったことでしょう。

 しかし、 現在のエーテル体は、肉体の中に正しい仕方で組み込まれていません。これは、人間における無秩序の一例にすぎません。そもそも人間本性における肉体、エーテル体とアストラル体、自我との間のどんな結びつきも、すべてが無秩序の状態にあるのです。
地球紀の進化の出発点で、ルツィフェルの影響が生じなかったなら、人間本性の四つの部分の相互の結びつきは、別のあり方をしていたでしょう。今日明らかにしたいのは、ルツィフェルによって人間本性の四つの部分の結びつきに生じた無秩序が、まったく特別の事情を生じさせたということです。
 このことを、次のような仕方で明らかにしようと思います。まず問題を図式化してみると、こうなります。

 ↓↓↓アーリマン↓↓↓
   ◎肉体 ー エーテル体
  1.エーテル体に対する肉体の優位、すなわち感覚世界の出現
   ◎エーテル体 - アストラル体
  2.アストラル体に対するエーテル体の優位、すなわち身体的全体感情の体験
    =================================
   ◎アストラル体 - エーテル体
  3.エーテル体に対するアストラル体の優位、すなわち養分摂取の楽しみ
   ◎自我 - アストラル体
  4.アストラル体に対する自我の優位、すなわち思考、感情、意志と自我との癒着
 ↑↑↑ルツィフェル↑↑↑

(2 と 3との間の===部分でルツィフェルとアーリマンが出会う)

ルツィフェル
私たちは、思考・感情・意志と一緒になって生きていますから、こういう思いを抱いて生きていくことは、非常に困難です。この世を生きる私たちはいつでももう一人の道連れを伴っています。その道連れは己と離れがたく結びついていて、己につきまとっています。一種のドッペルゲンガー(分身)のようにです。私の隣で、その連れが考え、感じ、欲しています。しかし、私はこの道連れではありません。私は私の自我の中の私です。私は三つの袋のように、この連れをかつぎ廻っています。この袋のひとつには私の思考が、もうひとつの袋には私の感情が、第三の袋には私の意志が入っています。この「三つの袋」理論を実践する以前には、思考、感情、意志と自我との対比を考えることは困難ですが、ルツィフェルが人間に影響を及ぼす以前の、神々によって意図された本来の人間は、自分自身の観察者となるように定められていたのです。人間にとっての根源的な「誘惑」とは、ルツィフェルが人間自我と結びついたことにあります。本来、人間は、月紀に与えられたアストラル体と並んで、自我を純粋な状態で受け取るはずでした。ところが、ルツィフェルは人間の自我にこう語りかけました。


いいかい、それでは退屈してしまうよ。君たち人間は、いつもこの唯一の中心点である『私である』を持ち廻って、『私』以外のすべてをただ観察しているだけではないか。君は君のアストラル体に沈潜すればよい。そのほうがずっと気が晴れる。私は君に、アストラル体の中に沈潜することのできる力を授けよう。そうすれば君は、一方的に、君の自我だけで立ち、君の道連れ(ドッペルゲンガー)を見続けなくてもすむはずだ。ただ道連れの中に沈潜すればいいのだ。もしも君がアストラル体の中に沈潜してしまい、いわば溺れてしまうようなことになったなら、私の力で君を助けてあげるから。

アーリマンルツィフェルも、どっちも悪魔じゃないか!早い話が人間をたぶらかしてたって事なの?そんなこんなで人間はいつの時代も唯一こんなに思い悩む動物になってしまったってニュアンス?教えてエライ人!)

2012年1月14日土曜日

夜に。

Stille nacht II - 1992


Stille nacht III - Tales from Vienna woods 1992
※一部です。




















いい意味で人生を変えてくれた作品でもある。 「ストリート・クロコダイル」に出会えた幸せ。こちらに『スティル・ナハト』も収録されています。

2012年1月12日木曜日

お気に入りの。


寒い寒い。夏はまだか…。アンビエント聴きながら寝ます。
最近お気に入りの『samurai.fm』です。

ボリュームは左の「+」 「-」をクリックです。













なんだか疲れが溜まってます。今年は自分の作品を作りたい・創りたい。
それに集中しようと思います。

音楽は裏切らないよね。うん。
ぐんない。

うす目でみれば見えるかもしれない。

頑張れば観えるかもしれないよ…。
Hexstatic - Horn

2012年1月11日水曜日

ちょっと懐かしめの。

クリス・カニンガムが好きすぎて死ねる。嘘です、やっぱり死なない。 

Rubber Johnny - Chris Cunningham + Aphex Twin
 

Rabbit in Your Headlight - UNKLE & Thom Yorke

あれ?これってクリス・カニンガムだっけ??違うかも…重たい箸休め的な。

Chris Cunningham - Monkey Drummer (Aphex Twin music)




そういえば実家に帰ったとき、弟くんがApehx Twinを聴いてたな。あと三味線の吉田兄弟なんかも聴いてた。前はDream Theater一辺倒、プログレ狂いだったけど、いい感じに変化してきた。
姉ちゃんは嬉しいぞ。感慨深いよう。

Monky Majik /吉田兄弟 CHANGE(on座頭市)


吉田兄弟 - 鼓動

2012年1月10日火曜日

年賀状を書いています。と、昨年末の寄席メモなど。

今せっせと年賀状のお返事を書いております。年賀状下さった皆様、申し訳ございませんがもう少々お待ち下さい。

さて、慌しい中に足を運んだEVENTについてメモしておこうと思います。


★12月24日(土)『クリスマス特選演芸会』 於:お江戸上野広小路亭 18時開演
〔出演〕快楽亭ブラック/瀧川鯉昇/寒空はだか/坂本頼光/あおき三朝・うたこ

〔寒空はだかさん〕
生で観るのは初めてだったので実はこの日、密かにいちばん楽しみにしていたのがはだかさん。『たわ~たわ~東京タワ~にのぼったわ~♪』を聴けて幸せでした。独特の間があるので安心していられます。なんだかいいな~と思いました。

〔瀧川鯉昇さん〕
先月の新宿テイト寄席でブラック師匠と同じ舞台で初観だったのですが、面白かった瀧川鯉朝さんのお師匠さん。こちらもすごい安定感。満足満足。因みに私は古典落語を全く知らないし落語自体のシステムやらも全く知らないのでちゃんとした所謂落語ファンではないのです。私は面白ければイイ!という楽しみ方。正当な落語ファンの方からしたら、叱責されるかも知れませんけど。

〔あおき三朝・うたこさん〕
名古屋より来られたジャグラー。ご夫婦です。いいなー、なんかいいなー。一緒に居るっていろいろ大変だろうけど、いいなー。こういった大道芸大好きなんで、堪能しました。もっと天井が高い場だともっとアクロバティックな表現も出来たのでしょうけど、また観たいです。

〔坂本頼光さん〕
この方はほんと凄い。職人。今回は『昭和初期の侍アニメーション』と『うまい棒』をカットする機械のプロモーション用の映像の活弁をされました。うまい棒・黒糖味、頂きました。

〔快楽亭ブラック師匠〕
もうなにも言うまい。破壊的な面白さ。もう完全にハマってます。観きれないなー。現代版の元ネタ(噺)まで遡っていくとなるとまだまだかかりそう。むしろまだ入り口っていう感じなんだろうな、楽しみがまだまだ残ってるっていうワクワク感。師匠、本当最高です!


12月29日(木)『川柳・ブラック 二人会』 於:新宿永谷ホール 18時開演
〔第二部:出演〕川柳川柳/快楽亭ブラック/立川左談次/林家しん平

第一部も行く予定だったのですが、眠気のため断念。第二部のみ川柳師匠大好きな友人と一緒に観に行きました。このお二人の化学反応はいつも暖かい熱を持っているので好きで好きでたまらないです。最後の川柳師匠の『ジャズ息子』からのブラック師匠の『演歌息子』へのリレー落語は感涙ものでした。『一世一代 これが最後の~』と謳われていたこの二人会ですが、〔2011年の最後〕という意味のようで、友人と二人で安堵したのでした。来年もどうぞよろしく。 楽しみに待っています。



12月30日(金)『吉例・年忘れ 快楽亭ブラック 毒演会』 於:浅草木馬亭 13時開演
〔出演〕快楽亭ブラック

帰省しようか迷っていたのですが、結局師匠の2011年最後の毒演会を観てから帰省しよう!と思い、飛行機を取りました。用意全く出来ておらずのまま浅草へ。迷いすぎて泣きそうになりました。何とか木馬亭に電話して教えていただきながら、ブラ坊さんの開口一番の途中で間に合いました。初めての場だったのですが、いい演芸場だなーと思いました。とても落ち着く。師匠の噺のタイトルは全く覚えていませんが、楽しかった。最高に面白かったー。

12月30日(金)『トンデモ暴念会』 於:浅草木馬亭 18時開演 
〔出演〕快楽亭ブラック/立川談乃助/三遊亭白鳥/瀧川鯉朝/鈴々舎馬るこ

お昼の部の終了後、こちらのトンデモ暴念会を観るかどうか迷いつつ(翌日の飛行機に乗れるように準備することを考えると…)、ブラック師匠が呑みに行くというのでご一緒させていただきました。今年のお礼も申し上げたかったのもあったので。お話してくださる師匠のファンの方5人の方もご一緒で楽しく焼肉を食べました。師匠ギリギリまで呑み、デザートがなかなか来ず、不満げでしたが(笑)なんだか可愛らしいな~、失礼かもしれないけど”可愛らしいな~”というのがいちばんピッタリくるのです。川柳師匠もそうだけど、みなさんそうだけど、人を笑わせる・楽しませることをご本人がいちばん楽しんでいる、そこなんだよな~と。観てる客も楽しくなる・幸せな気分になる・ありがとうございました、と心から思う。そんなステキな感覚のスパイラルって感じです。

で、鈴々舎馬るこさんが出られるというのもあり、”ここまで来たら観よう!”と思ってそのままトンデモを初体験。皆さん、おもしろー。ブラック師匠が会場に戻られたのが談乃助師匠の噺の途中だったので、もうお客さんもギチギチに入っているので、いちばん左の補助席に座って観ました。

もう、みなさん、最高でした!トンデモはいつも平日なのでなかなか行けないんだけど、たまには観たいなーと思ってしまいました。だって面白いんだもの。お釣りを頂けてしかも美味しい食事を堪能してる感覚。ステキ!


そして、遂に『ブラック団』にも入ったので、2012年は去年よりも快楽亭ブラック師匠の高座に足を運ぶことになりそうです。たのしみーーーーー!

2012年1月8日日曜日

あけましておめでとうございます。

2012年が始まりました。遅ればせながら、みなさまあけましておめでとうございます。

私は12月31日より本日まで帰省していました。羽田空港より約1時間空の旅、現地空港まで両親に車で迎えに来て貰いました。そこから陸路を延々3時間、実家に到着したのはその日の夕方。実家は四国のとある場所。海と川と山と畑に囲まれた小さい町です。大晦日から9日間、久しぶりにゆっくりお正月を過ごしました。猫も一緒に連れて帰って。弟の家で飼っているボーダーコリーくんが仕事の関係で、世話がままならないようで、今、うちの実家で母親(甥っ子たちからするとばあちゃんになるのか)が世話をしています。父は肺気腫を患っているために、酸素が手放せず基本的に安静にしていないといけないので、散歩などは1日3度、朝昼晩と母親が散歩に行っていました。途中からは昼夜の散歩を私がしました。母親も数年前に大腸癌を患い、早期発見だったために何とか復帰していますが、やはり元の調子にはなかなか戻らないようで、2人とも隠居生活をしています。

自然だけは自慢できる場所で高校卒業するまで18年間生活していました。小学生時代は友達の家にあるものをおやつ代わりに皆で適当に食べたり(覚えているのは、ビオフェルミン、梅干、納豆、蜂蜜、お漬物、農家の子が多かったので、納屋や離れにある倉庫とか遊ぶ場所は無限にありました。山や畑なども遊ぶ場所、きりが無いぐらい。)自転車で川の上流まで20分ぐらい上り、そこからゴーグルを付けて捨てるような上靴を足に履き、そのまま上流から川の中を見ながら流れてくるだけという遊び、大雨が降った後は特に川は増水していて面白かったな。事故など全く起きなかったし、子供ながら危険な場所というのは理解していたのだろうと思います。夏休みはほぼ毎日泳ぎに行っていて、当時は日焼けして真っ黒でした。

幼稚園の頃から仲のいい近所の同級生たち3人で自宅から醤油とフライパンと親のライターをこっそり持ち出して川海老と魚を捕獲し、その場で焼いて食べたりした中高生時代、山登り、木登り、畑で基地を作ったり、そんな自然の中での遊びは今思えばすごく貴重な体験、幸せな子供時代を過ごせたのだなと思います。

そういう経験自体は良かったことでもあり、あの場所で生まれ育ったことに誇りを持っていますが、なぜだか子供の頃から田舎ならではの風潮・当然とされることに対して異様なまでに違和感を感じながら育ったのでした。田舎の町ならではの閉塞感、目立つようなことをしてはいけないという雰囲気や、日常的な親の発言。そんな色々なことに対して自分の中では、「こんな場所でずっと生活したら気が狂ってしまう、ここじゃないどこかへ行かないと!」という気持ちはずーっとありました。高校の時に出会った美術の先生の影響で、興味を持ってデザイン系の専門学校へ進むことになり、19歳で大阪へ出た時にやっとその違和感は薄れました。以下略。

今そんな地元もどんどん過疎化が進み、働く場所が少なくなっています。もっと通信網がきちんとしていけば、そして自分のスキルや人の繋がりが強固に作っていければ、地元で仕事も出来るのかも知れないという気持ちもあることはあるのですが、色々考えてしまいます。小さい町のあの閉塞感の中で果たしてやって行けるのか。まだ答えが出ません。とはいえ、いつか両親も居なくなる、そんな現実を近い将来に感じてしまうような親の発言や、老いていく親の姿を見て、いやでも考えざるを得ないのだな…と覚悟したのでした。

何かしら生活のベースになる太いものをここ数年で得ないと辛いような気がしています。 何かしらまた大きな変化が10年以内に起こる、そこでどうすべきか。引き受けることは引き受け、つなぐものはつないでいかなければいけないのだなと。

本当に親は子供の幸せしか考えていないのが痛いほど伝わってきました。お正月に実家で観たWOWOWで放送されていた『男はつらいよ』シリーズの寅さんが自分の今の状況と重なって、身につまされてしまいました。うちの弟が”さくら”という笑えない状況。こんな娘でごめんなさい。好き勝手生きててすみません。(答えなんかすぐに出ないもんなー、悶々としちゃうなー)


Guernica ゲルニカ - マロニエ読本 蘇州夜曲

Guernica ゲルニカ - マロニエ読本 [Remix Version]

また何が言いたいのかまとまらないダラダラとした内容になってしまったぞ。。。。うがが