2012年1月8日日曜日

あけましておめでとうございます。

2012年が始まりました。遅ればせながら、みなさまあけましておめでとうございます。

私は12月31日より本日まで帰省していました。羽田空港より約1時間空の旅、現地空港まで両親に車で迎えに来て貰いました。そこから陸路を延々3時間、実家に到着したのはその日の夕方。実家は四国のとある場所。海と川と山と畑に囲まれた小さい町です。大晦日から9日間、久しぶりにゆっくりお正月を過ごしました。猫も一緒に連れて帰って。弟の家で飼っているボーダーコリーくんが仕事の関係で、世話がままならないようで、今、うちの実家で母親(甥っ子たちからするとばあちゃんになるのか)が世話をしています。父は肺気腫を患っているために、酸素が手放せず基本的に安静にしていないといけないので、散歩などは1日3度、朝昼晩と母親が散歩に行っていました。途中からは昼夜の散歩を私がしました。母親も数年前に大腸癌を患い、早期発見だったために何とか復帰していますが、やはり元の調子にはなかなか戻らないようで、2人とも隠居生活をしています。

自然だけは自慢できる場所で高校卒業するまで18年間生活していました。小学生時代は友達の家にあるものをおやつ代わりに皆で適当に食べたり(覚えているのは、ビオフェルミン、梅干、納豆、蜂蜜、お漬物、農家の子が多かったので、納屋や離れにある倉庫とか遊ぶ場所は無限にありました。山や畑なども遊ぶ場所、きりが無いぐらい。)自転車で川の上流まで20分ぐらい上り、そこからゴーグルを付けて捨てるような上靴を足に履き、そのまま上流から川の中を見ながら流れてくるだけという遊び、大雨が降った後は特に川は増水していて面白かったな。事故など全く起きなかったし、子供ながら危険な場所というのは理解していたのだろうと思います。夏休みはほぼ毎日泳ぎに行っていて、当時は日焼けして真っ黒でした。

幼稚園の頃から仲のいい近所の同級生たち3人で自宅から醤油とフライパンと親のライターをこっそり持ち出して川海老と魚を捕獲し、その場で焼いて食べたりした中高生時代、山登り、木登り、畑で基地を作ったり、そんな自然の中での遊びは今思えばすごく貴重な体験、幸せな子供時代を過ごせたのだなと思います。

そういう経験自体は良かったことでもあり、あの場所で生まれ育ったことに誇りを持っていますが、なぜだか子供の頃から田舎ならではの風潮・当然とされることに対して異様なまでに違和感を感じながら育ったのでした。田舎の町ならではの閉塞感、目立つようなことをしてはいけないという雰囲気や、日常的な親の発言。そんな色々なことに対して自分の中では、「こんな場所でずっと生活したら気が狂ってしまう、ここじゃないどこかへ行かないと!」という気持ちはずーっとありました。高校の時に出会った美術の先生の影響で、興味を持ってデザイン系の専門学校へ進むことになり、19歳で大阪へ出た時にやっとその違和感は薄れました。以下略。

今そんな地元もどんどん過疎化が進み、働く場所が少なくなっています。もっと通信網がきちんとしていけば、そして自分のスキルや人の繋がりが強固に作っていければ、地元で仕事も出来るのかも知れないという気持ちもあることはあるのですが、色々考えてしまいます。小さい町のあの閉塞感の中で果たしてやって行けるのか。まだ答えが出ません。とはいえ、いつか両親も居なくなる、そんな現実を近い将来に感じてしまうような親の発言や、老いていく親の姿を見て、いやでも考えざるを得ないのだな…と覚悟したのでした。

何かしら生活のベースになる太いものをここ数年で得ないと辛いような気がしています。 何かしらまた大きな変化が10年以内に起こる、そこでどうすべきか。引き受けることは引き受け、つなぐものはつないでいかなければいけないのだなと。

本当に親は子供の幸せしか考えていないのが痛いほど伝わってきました。お正月に実家で観たWOWOWで放送されていた『男はつらいよ』シリーズの寅さんが自分の今の状況と重なって、身につまされてしまいました。うちの弟が”さくら”という笑えない状況。こんな娘でごめんなさい。好き勝手生きててすみません。(答えなんかすぐに出ないもんなー、悶々としちゃうなー)


Guernica ゲルニカ - マロニエ読本 蘇州夜曲

Guernica ゲルニカ - マロニエ読本 [Remix Version]

また何が言いたいのかまとまらないダラダラとした内容になってしまったぞ。。。。うがが

0 件のコメント:

コメントを投稿