2017年6月6日火曜日

2017-06-06 tue

かなり間を空けてしまった。
とはいえ、いつも通りの感じで緩く生きている。

下記、ネガティブな意識ではないことを先に申し上げる。
起きていることを踏まえ、自分で感情を処理しているところであるという事実のみで、感情的なことを排除していっている作業中である。

大多数の世の中の人は「美しいもの(私も美しいものは好きだが、概念が違う、ここでいう大多数の人が好むものは「一見 美しいもの」を指す)」を好む傾向にある。あえて毒の部分を避ける。汚いものに蓋をする。人づてに聞いて自分自信で中も確認すらしていないのに鵜呑みにし蓋をして生きる。そうすることで自分自信が知らず知らずに他人を傷つけていることを意識すらせず、寧ろ「さも何もしていないかのような顔」を平気でして生きている。または自分が被害者であるかのような顔すらしている。そういうものが見え隠れする人からはどうも距離を取りたくなってしまうのである。汚れた場所にたった一人で残ってしまうことになってもそのほうが心地よく、ストレスが少なくてすむ。寂しいことを承知で 敢えてそれを今後も選びたいと思う。

他人より蔑ろにされるのにも結構慣れてきた。調子の良いひとはそのまま生きていけば良いと思う。蔑ろにされることで怒ったりすることもなくなった。気付いていないフリすら出来る。そのものに対し残念さを通り越しそして興味が失せるだけである。なぜかといえば自分が行ったことは必ずそのしたものに戻っていくというのを体験的に知っているから。

だからこそ、グロテスクなもの悪心の部分・人間の本性のダークな部分を描いているストレートな表現のものに接することでホッとするのかもしれない。

猫たちは元気。ありがたいことだ。